なんとか冬を越した葉牡丹
1月は往く、2月は逃げる、3月は去る、と昔の人は言った。
自分でもこれまでの生き方の中で、何度か同じことを感じたり、同じようなことを言っても来た。
それを改めて今年ほど強く感じたのは、ここ数年では珍しいことである。それほどに色々あったということか。
半ば自分ではまり込んだ世界なのだからグズグズ言う筋合いではないことは解ってる。それにしても、2月半ばから昨日までのおよそ1ケ月間に色んなことが重なってしもうた。記憶力の衰えが見える頭の中を整理しながら、あれやこれやをもつれさせないよう、交通整理しながら結果を出してやっとこさ今日を迎えた。3月中の予定が全て終わったわけではないし、まだまだやりたいこと、やらなきゃならん事がいっぱいある。が、取り敢えず時間に制限のある事柄だけはやり終えた、ということかな。
外は気持ちを落ち付かせるようなシットリの春雨。ほったらがしのプランターでなんとか冬を越した葉牡丹が、水を含んで深呼吸しているようだ。こんな時はたとえ下戸でも、一服の清涼剤を求める気分にさせられる。あまいねー、まだまだ未熟ねー。
そうそう、一服の清涼剤と言えば、まさに忙中閑を見つけて半日だけ、ゆったりのんびり過ごした日があったのだ。
それは、この春から高校に進学する孫のカー君と二人でお城山に登ったのだった。
途中のコンビニでお互いの好みのおにぎりや飲み物を仕入れて、時々しゃべり、時々汗を拭いて登った。
頂上の陽ざしと見晴らしの良い場所に座り込んで、おにぎり食べながら少し話をした。
「何がやりたいの?」「ウーン幾つかあってまだはっきりしていないんよ」「そりゃぁいいことだ、しっかり悩んでゆっくり決めたらいいよ」「じいちゃんの時はどんなだったん?」「じいちゃんのころはね・・・・・・」などと、次から次へ色んな話がいっぱい出て来て、本当に心安らぐジジと孫の時間が過ぎた。「また来ようぜ」「ウン、学校が始まるまでならいいよ」と、少し恩に着せられた。
所詮、孫の「ジジ孝行」みたいなひとときだったのかもしれないが、ジジにとっては大いなる息抜きとなり、その後の作業の消化の原動力になったのも間違いない。おかしなもんだねー、ちょっとしたことがエネルギーの源になることだってあるんだねー。トシかねー。