「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「1歳半の感性」

2018年12月14日 | つれづれ噺

              

師走半ば。何かに追い立てられるような、落ち着かない気分にさせられる今日この頃ではある。
そんな中でも、呉に住む孫娘は、お父さんの勤務に合わせて定期的に里帰りしてくる。ジジババには世間並みの忙しさも何もないと思っているのであろうか。孫の相手に専念できるほど暇を持て余しているわけでは決してない。

などと言いながら、帰って来ればついつい相手のペースに載せられて、公園のブランコ。途中のアンパンマン自販機でジュースを買うのが目的の、ゆったりのんびり散歩など、丁寧なお付き合い。食事も風呂も「じいちゃんがいい」などと言えば「そうなん?」なんて迷惑そうな振りはするものの、内心「可愛い奴め」と喜んで相手をしてやる。

すぐ近くの民家でクリスマスイルミネーションが数年ぶりに復活した。一時期、お隣同士が張り合って、飾りつけも年々華やかにエスカレートして、それはそれは見応えのある出来栄えであった。それが何か異変が起きたのかここ数年、2軒ともにイルミネーションはお休みになっていた。それが今年は以前にもまして華やかな復活を遂げた。

5歳半と1歳半のちっちゃなお手々をひっ捕まえて、イルミネーション見物へ。完全防寒装備で丸くなった体を揺らして大喜びの姉妹。特に、まだもの言えぬ1歳半は、ワァー・キャー・ワァーの歓声しきり。点滅ライトの前では手を叩いて喜びを表す。これほどの感激を体全体で表現するとは思っていなかった。それだけにこの歓声を発する感性にはこちらが驚いた。

遠く離れた場所からは多くを見て来たであろうし、きれいだなーと思ったことだろう。でもこうして実際に手で触れられる間近で、温もりさえ感じるトナカイやサンタクロースとの触れあいは、ある種のカルチャーショックであったのかもしれない。実物を見せること。身体全体で感じさせることの大切さ。を1歳半の孫娘が教えてくれた。

「感動で心を震わせる体験をさせることに勝る教育はない」とは、この孫たちの父親が、まだ小学生だった頃の担任のベテラン先生から教わった言葉である。今もジジの脳裏に焼き付いている。

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「今年を振り返ると」

2018年12月12日 | ニュース・世相

                

今年1年を振り返って、漢字一字で表すなら『災』と言う字がぴったし来ると考える人が圧倒的だったという。
確かに、西日本豪雨や北海道地震、台風21号をはじめ相次いだ大規模災害は、日本列島を傷め尽くした。そんな被害の現状を目の当たりした多くの人の気持ちの中に、大きな傷痕として残っているのがこの一字なのであろう。

自然災害の仲間という点で、今ひとつ付け加えておきたいのが「記録的な暑さ」である。連日の猛暑・酷暑は「これまでに経験したことのない暑さ」「観測史上例を見ない暑さ」などと表現された。家計を直撃する野菜の高騰そして野菜不足は、まさしく日常生活を脅かす自然災害であった。

さらには、明らかな人的災害も身近なところで発生した。
クルマで30分も走った瀬戸内海に浮かぶ、優雅な島「周防大島町」と本土を結ぶ唯一の橋「大島大橋」に、ドイツ船籍の貨物船が衝突した。怪我人こそ大したことはなかったようであるが、島の命綱である送水管が無残にも破壊された。もちろん橋の強度にも影響を及ぼす損傷が見られ、通行止めによる島からの出入りさえ事欠いた。

3週間に及ぶ交通制限。40日に及ぶ断水は、島の経済を直撃した。「大島ミカン」と呼ばれる地元のブランド品は、最盛期の出荷を制限された。12月に入ってようやく、送水管の修復やそれらの出荷制限も解除はされたものの、物心両面の被害総額は計り知れない。貨物船を操る船長あるいは機関長たる人間が、普通通りの業務遂行をしていたら避けられた災害だけに、泣くに泣けない無念さが胸を締め付ける。

今ひとつ人的災害で世界の経済に大打撃を与え、国際摩擦を引き起こす大罪人が闊歩している。そのお陰で株価でが低迷して、夢も希望も失った人も多くいるはずである。「アメリカファースト」という言葉で、自我丸出し。自国を守るためなら、戦争も辞さない剣幕で世界中を脅し続けるトランプ大統領。彼の言動も、今年の『災』の中に入る大きな人的災害の一つではないだろうか。

こうして『災』あれこれを考えると、人智の及ばない天災と同じかそれ以上に、人災が大きな割合を占めるのは如何なものか。世界中各地で発生した山火事の要因も、地球温暖化に一因があるという。これさえも世界のリーダーを自負する「ロシア疑惑保持者」が世界の潮流を逆行させようとしているかに見える。

なんとか人災は今年で終わりにしてもらわないと、自然災害の多い我が国はダブルパンチを受け続けることになる。立ち直りを期待したい。
残り20日足らずとなった平成最後の年の瀬。笑顔を取り戻して、新たな年号の始まりに期待を寄せたいものである。

ちなみに、我が家にも襲い掛かりそうであった『災』はなんとかクリアして今がある。

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「過渡期」

2018年12月10日 | つれづれ噺

                                 

今年は珍しく忘年会の回数が少ない。声をかけてもらった全てに参加してもせいぜい3回である。
自身が働いて小遣いがある程度自由になって以来、12月の忘年会と名の付く飲み会が、これほど少ないのはまさに新記録と言えるようだ。

昭和の高度成長を謳歌してきた我々世代は、汗も流したが遊ぶのもよく遊ばせてもらった。
通称「駅前」という繁華街は、それはそれは賑やかさと華やかさがあふれ活気があった。夜のとばりが下りると年がら年中お祭り気分の毎日であったような。そのうえで12月となると忘年会という、特別な意識を持った飲み会が続いた。

それがここ数年縮小の一途をたどって来た。もちろん現役時代に比べるべくもないが、それでも片手に余る回数がカレンダーに記されていた。寒いねーなどと言いながら、いそいそと駅前ネオンの灯りに群がったものである。

今年の3回も夜の開催は1回こっきり。昼間のランチ会食に毛が生えたような会合が2回。
“酒なくてなんの己が忘年会” ではないが、わずか1杯か2杯しか飲めない生ビールでも、昼間に飲むのと夜に飲むのとではまるで味わいが違う。下戸の小生でさえそう思うのだから酒豪の趣には、とても我慢できないことであろう。

しかしである。よーく考えてみると、健康長生き、ピンピンコロリを目論むのなら、遠い過去と同じように、夜の街を二次会だ三次会だと徘徊するのは考えモノである。それでなくても自然徘徊の不安が近づくお年頃なのだから。
とすると、色んな宴会などの開催が、夜から昼間へ移行するのは極めて自然な流れというべきか。

それならいっそ逆らうべからずだ。年輪という摂理に従って、互いの健康を気遣うのが賢明な生き方のようである。「古い状態から新しい状態に変化していく過程の時期」を『過渡期』という。
どうせなら、自ら過渡期を受け入れ歓迎して、新たなスタイルの楽しみ方を考えるのが、身の丈に合った賢い生き方と言えるのかも。

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「季節の味」

2018年12月09日 | 晴耕雨読

           

12月に入って夏日がおとずれた。着るものは半そで。日差しの下で食べるのはアイスクリーム。子どもは裸足で水遊び。134年ぶりとかの師走の暑さがニュースになった。
こちらは、そういった特異な話ではない。ごくごく平凡な、季節に似合った定番の味わいをひとくさり。

あの師走の夏日から1週間もたったろうか、今度は肌を刺す冷たい風に乗って白いものが舞い降りる。
季節通りの初雪である。初雪とくれば、垣根の曲がり角のたき火であり、腹の底から温まるぜんざい、お汁粉が定番である。粒の大き目な小豆。孫君が神社の相撲大会でゲットした優勝賞品のお餅入り。

問題はこの「大き目の小豆」の話である。
毎年暮れになると、娘の嫁ぎ先から大量の小豆と黒大豆を頂く。ぜんざいはもとより、正月餅のあんこになったり、おせち料理に欠かせない煮豆として重宝している。実に有り難い。こんな感謝の気持ちが「この手で一度、小豆と黒大豆作りに挑戦してみよう」と思い立ったのが今年の6月。狭い畑の一角にタネを撒いた。

それはそれは見事に、小豆も黒大豆も畑一面に芽を出した。「割と簡単じゃ!」と考えたのがウンの尽き。
日照りの多すぎた今年は水やりにへとへと。それでも、初挑戦だけに枯らさぬように大切に、と思ってがんばった。秋口に入って段々勢いが弱って来た。但し、かなりの実が付いている安心感はあった。が、さすがに「赤いダイヤ」と呼ばれる小豆が、そう簡単に素人の手に入るわけがない。やはり現実は厳しい。弱った木には虫が付く。

直接食べる小豆だけに消毒も気が引けて。結局時季が来て収穫して見たら、なんと種まきに使った量の3倍程度。1合にも満たないささやかな収穫。小豆のままでは写真撮るのも気が引けるほど。
でも、粉雪舞飛ぶこの寒さ。ありったけの小豆で、熱いあついぜんざいを頂いた。お椀にして3杯半から4杯分。それでも大粒の小豆の食感は紛れもなく小豆である。カボチャの味はしなかった。

果たして来年も挑戦するか。畑に撒くタネの量の10倍。つまり1合くらいの出来高を目標にやってみるか。無難に「タネとして撒く分を食料にするか」。思案に迷うほどのことでもないが、改めて、毎年送って頂く娘の嫁ぎ先の老夫婦に、深い感謝と敬意を表明する次第である。

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「そだね~」

2018年12月04日 | ニュース・世相

           

12月。「師走」の声を聞くと、この1年間の総決算として、今年の〇〇というのが話題になる。
その第1号とでもいうべきニュースが「今年の流行語大賞」ということになろうか。
今年話題になった新語、流行語に贈られる大賞を獲得したのは、『そだね~』というソフトな肯定語であった。

ピョンチャン冬季オリンピックのカーリングで、世界と戦う日本女子チームが、試合の途中で「さぁどうするか」という思案を迫られる場面で、誰かが打開策の提案をする。すかさず「そだね~」と言いながら、笑顔のチームメイトが寄り集まる。あれこれ意見を出し合う中で、何回も何回も飛び出す「そだね~」。人の意見を否定しない。先ずは受け止める。そこからまた新しい発想を生んで、最後に結論めいた方策が見つかったところで最後の「そだね~」となる。

北海道地方の言葉、というか発音で、少し伸びやかなオットリ感のイントネーションが、何ともいい印象を与える。
思わず言ってみたくなる「そだね~」。

人の言うことを素直に聞こうとしなかったり、相手の言うことをことごとく否定形で受け止め「それは違うでしょ」という日本人のなんと多いことか。特に、物知りを自認するオバサマ方に多く見受けられる現象である。
中には、聞いているような素振りは見せるが、人が話している間に自分の意見をまとめるのに忙しくて、結局人の話を全く聞いていない、という日本人のなんと多いことか。

小さな子供や孫と話をするとき「そうだね~」「よく知ってるね~」と褒める人でさえ、相手が自分と同等の意見を持っているか、それ以下の相手だと思うと、とたんに「聞いている素振り」になったり「否定形発言」で相手の話を遮る。
そこへいくと「そだね~」とは、なんと気持ちが安らぐひと声である。相槌の至言かもね。

こんな言葉を大いに流行らせて欲しいね~。
「半端ない」ってどういうこと。「半端じゃないぜ」という言葉を単に省略したの?ただ言い間違えただけなの?

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「季節の使者」

2018年12月03日 | 季節の移ろい・出来事

           

人懐っこい冬の鳥。スズメと同じくらいの大きさで、尾っぽを振り振り愛嬌を振りまく冬の渡り鳥が今年もまたやって来た。
人間をあまり恐れず、朝日の当たる我が家の東側空き地の木の枝に留まり、静かにえさを狙う一匹狼。というか、孤独が似合う小さな鳥。その名を「ジョービタキ」という。つがいで渡ってくることはないらしい。

オスは鮮やかな色合いで、特に背中の黒い羽根には、白い斑点模様がある。その斑点が日本古来の正装、紋付き羽織に似ていることから「紋付きどり」とも呼ばれている。小さくて可愛い割に、縄張り意識が強く、他を寄せ付けない強さも持っている、という。可愛い鳴き声を発するというが、その鳴き声をはっきり耳にしていない。その存在を知らせないために、渡り先の日本では鳴かないのではないかと思うほど静かな、愛らしい小鳥である。

このジョービタキが目の前を飛び交い始めると、まさしく年の瀬近しと厳しい寒さの到来に思いが行く。
期間限定で目を楽しませる渡り鳥が、目の前から消える頃までには、あれもしておこう、これも済ませよう。などと思い悩む事柄が幾つかある。その一つが中学時代の喜寿同窓会準備である。

幹事会では一通りの計画は話し合った。幹事一人ひとりが、それぞれの機会を通して「来年4月3日にやるよ」という宣伝を始めてもらっている。言うなればすでに準備の準備に入っているということである。特に今回は、高齢化が進んで幹事仲間もひところのように15人もいなくなった。半分近くに減っている。その分、電話作戦で宣伝するのも、その数は半分近くに減る。

そういった心配を可能な限りつぶして、ジョービタキが東南アジアの島へ戻るころには、万全の態勢で出席者を待つことだけに専念できる準備を少しずつ充実させる季節である。小さな渡り鳥が、そんなことを教えてくれる。

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「師走ついたち」

2018年12月01日 | 季節の移ろい・出来事

            

この冬は暖冬なのか、厳寒なのか、さってどっちだろう。
などと考えているうちに早くも師走ついたちを迎えた。特別な空っ風に見舞われるでもないこの地方は、暖かい陽ざしの青空に向かって、皇帝ダリアが残り少ない花の季節を満喫しているようだ。

そんな天候の穏やかさも手伝ってか、もう師走よ、などと言われても今のところピンと来ないなーというのが偽らざる心境である。それにしても、相変わらずあれやこれやに追いかけられる日々ではある。
それに当然の如く、忘年会という楽しい予定が組み込まれる。こちらは気持ち的には浮かれるはずなのに、スケジュール的にタイトな感じを受けるのは、やはりカレンダーが残り1枚になったという切迫感に押されるのだろうか。年間を通じて、日中の時間が最も短い月というのも、昼間の活動時間が削がれているような気がして何となく気忙しさを感じるようだ。

残り1ヶ月。なんとはなしにこの1年の足跡を振り返りたくなる。
残された1ヶ月で、やり残した分を埋められるはずもなのだが、埋められるものならなんとか・・・などと通り過ぎた日々を振り返ったりするのも師走初め恒例の気持ちの揺らめきである。

最後の追い込みで、少しでも悔いの少ない1年に仕上げたいと思ってはみるが、さてどうかな?

 

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