2009年1月1日 天皇一家
愛子内親王は触れられるとびっくりして手をよける。
悠仁親王は「一緒に遊びましょう」と誘って見るけど反応がないのでご両親を見る。
皇居へ向かう
2009年1月2日 新年一般参賀
2009年1月2日 両陛下と夕食会へ
週刊ポスト 2009年1月16日・23日号
「雅子妃宮内庁長官が異例の来訪」
女性自身2009年1月20日号
「殿下動いた!陛下への異例の電話雅子さま美智子さまおせち囲み「絆」再生の約束
週刊女性2009年1月20日号
「年は明けても心は晴れず?雅子さまブレずに持久戦」
「ついに身内からも出た「雅子さまはブレないから」発言 雅子さま09年持久戦の「狼煙」今年も元旦行事をご欠席!」
元日行事の欠席で今年も快復は期待薄という感じ。と、いうより逆風に負けず今年も持久戦を続けるという狼煙だと顔をしかめる関係者も」
医師団の見解「心身の状態は自分でも予測できない波がある」
ある皇族が雅子妃について「あの人はまったくブレない」と驚嘆
普通、天皇の心労の原因が自分にあると言われたら病状悪化を覚悟してでも新年祝賀行事には出席するでしょう。
2009年1月7日 昭和天皇二十年祭
2009年1月18日 御所の夕食会
週刊女性 2009年1月27日号
「病状快方じゃないの?窓閉めこわばる表情の半蔵門ー雅子さま無理やり復帰の怪」
週刊現代 2009年2月14日号
「スクープ雅子さまベトナム断念で地中海クルーズはアリか」
週刊ポスト 2009年2月13日号
「深層レポート「秋篠宮天皇論」「雅子さま不要論」の渦中「雅子妃が女官に妹・礼子さん・ベトナム同伴断念皇太子の決断」で新展開」
2009年2月4日 愛犬まり死去
まりが死亡する数日前に入院中の動物病院に真夜中に見舞い
愛子内親王はまりが死んだ日、数時間遅刻
2009年2月5日 皇太子ベトナム訪問記者会見
「今回,ベトナム国からご招待を頂いたことを雅子も大変有り難く思っており,お伺いできないことを,本人はもとより,私も残念に思っております。外国訪問は,日本と諸外国との相互理解と友好親善を増進する上でも大切なものであると考えておりますが,同時に,雅子は,依然として病気治療中であり,外国訪問については,移動距離,訪問期間,訪問中の行事などの観点から,慎重な判断をする必要があります。今回の訪問についても,お医者様とも相談の上で総合的に判断して私一人で訪問することといたしました。
お招きいただいたベトナム国の方々のご厚意におこたえできないことを申し訳なく思っておりますが,ご理解いただきたく思います。
今後の外国訪問については,ケース・バイ・ケースでお医者様と相談しつつ判断することになろうかと思います。
基本的には,前からお話ししているように外国訪問は我が国と諸外国との友好親善を増進する上でも良い機会であり,今後とも大切にしていきたいと考えております。
いずれにしましても,雅子としては少しでも多くの公務ができるように頑張っておりますので,長い目で温かく見守ってくださるようお願いいたします。
司会進行役の大森茂東宮侍従が時間切れを理由に記者の関連質問を打ち切り。
記者会は「取材の制限・妨害に等しい」と抗議。後日、野村東宮大夫が謝罪。
2009年2月6日 皇太子ベトナム行きの見送り
2009年2月15日 ベトナムから帰国お出迎え
喜んではいるものの、父親と手を繋ぎたがらない愛子内親王。おまけにさっさと自分から東宮御所内に入ってしまう。
週刊ポスト 2009年2月27日号
「巨大メディアの内幕 だから皇室の真実は伝わらない!皇太子会見打ち切りで東宮職と宮内記者会が火を噴くまで雅子妃巡り「八百長質問」発言も飛び出したバトル」
女性セブン 2009年3月5日号
「超側近がまた辞任!雅子さまを追い詰める「東宮侍従長6人目の重圧」
2009年2月23日 皇太子49歳の誕生日
3人がやっているのは3歳児用英語の知育カード。それをババ抜きにして遊んでいる。
誕生日記者会見
ご質問で触れていただいたように,雅子は,体調に波がある中,病気治療を続けながら,新年一般参賀にすべて出たり,皇后陛下のご名代で祭祀に臨んだりするなど,これまでできなかった公務もできるようになってきていて,私も雅子もうれしく思っております。
これは,本人が,公務,祭祀のいずれについても,その重要性を認識し,体調が許す限り頑張りたいと考えて努力している結果であると思います。
しかしながら,体調が良いとどうしても頑張り過ぎる傾向があるため,お医者様からは,無理をして回復が逆行することのないよう慎重を期す必要があること,また,育児や東宮職内部の仕事とともに,ライフワークにつながるような活動を大切にしていくことが望ましく,これと公務とのバランスをよく考えていく必要があるとの意見を伺っております。
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「頑張りすぎる」とはどういう事なのかと記者が質問する。
雅子にとって,一つの公務をする場合には周囲の期待もありますので,それに全力を傾けることになります。
お医者様からはほかの活動もいろいろとしたらよいと言われていますが,その場合には,それらの活動を,言ってみれば,犠牲にすることにもなります。
また,日数をかけて準備をすることになります。
公務の後で疲れが残ることにもなります。
したがって,新しく一つの公務ができたからということで,またすぐに次の公務を期待するというのは,本人を精神的に追い詰めることにもなるので避けてほしいとお医者様から伺っております。
やはり,その時々の体調を勘案し,お医者様に相談しながら,これまでどおり個別に検討していくことになると思います。
先ほどの質問については,皇統の問題が重要な問題であるということ,これは私は非常によく認識しております。
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一度皇太子は退場し、記者達が撤収している時、退場から20分後に突如再登場する。
女性自身 2009年3月10日号
「ご公務お休み1ヶ月「頑張りすぎが」誕生日会見で「ご病状」異例の言及 雅子さまギリギリの闘い 皇太子さまたまらず明かした「苦悶の今」
徳島新聞2009年2月27日 共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演:平成皇室「公あっての私」考え方の違い 両陛下ら苦悩」
ある宮内庁関係者によれば、皇太子ご夫妻は新婚時代、「二年間は子どもをつくりません」と両陛下におっしゃったと言う。
真実だとしたら、落胆したことだろう。
実は、皇太子ご夫妻は真剣に「お世継ぎ問題」を受けとめていた。
雅子さまは、生真面目で頑張りやだ。
両陛下の期待に応えたいという使命感のような気持ちは強かった。
しかし、この問題は頑張ろうとすればするほど女性にはつらい。
雅子さまが九九年に流産したとき、撮影されるのは忍びない、と皇太子さまが食堂の白いカーテンを外し、車窓に目隠しをした。それを聞いた両陛下は不快感を示したという。
皇族という立場は、辛いときも国民から姿を隠すようなことをしてはいけない、ということだと周りは斟酌した。厳しいが、考え方の違いを物語っている
この年は早々から雅子妃批判が飛び出した年でした。
前年から「離婚するのではないか」との憶測も飛び交っていました。
海外公務の足掛かりとして、ベトナム行きが検討されていて、ついでにヨーロッパで静養という話も出ていたが、結果的にはベトナムへは行かず。
前年から元気に遊びまわっている姿を見て来た記者達は皇太子に突っ込むも、「時間切れ」という事で記者会見は遮られ、記者会が怒り出す場面も。
それで、誕生日の記者会見では「雅子は頑張りすぎる」と言ってしまったのだが、記者達にすれば「何をどう頑張りすぎているの?」という事になり、それに皇太子があいまいに答える場面が。
記者会見の文面を見ても、公務の前の準備は当たり前のことだし、それだけでヘトヘトになってしまう人って何かおかしくない?と思いますよね。
どうやら記者会見場の裏に雅子妃がいて、皇太子の曖昧なものいいに「もう一度話して」と言ったのではないか・・・だから20分後に再び登場して喋ったのではないかと言われています。
誰もが当たり前にやっている「仕事」の準備が「頑張りすぎて」しまう・・・と言われたら一般人はどうしろと・・・と思いますよね。
遊びなら何日で歩いても平気で元気で笑っているのに。
ただ、この頃に批判された「しかえし」が今、秋篠宮家に向かっているんだろうと思いました。