何でミヤネ屋は今回、やたら上皇夫妻を追いかけているんでしょ?
レポーターのお兄ちゃんが皇室好きだから?
山下晋司にお仕事上げる為? 今まで何人も皇室ジャーナリストはいたけど、彼ほど信用出来ない人はない。
上皇夫妻の中宮寺訪問を丹念に報道し、ついでに今上夫妻の今後の動向も。
山下「(皇后の)体調、よろしいんでしょうね。もう長く療養されてますから」
へえ~~~~そ~~~~?って感じですけど。
上皇夫妻は奈良の中宮寺を訪問。修復された様子をご覧になりました。
疲れているんでしょう。
お二人ともよろよろ状態なんですよ。車椅子使った方がいいんじゃない?って思う。
特に上皇陛下は。
でもよろよろしつつ、よろよろ寄りかかる上皇后を支えねばという気持ちはある様子。
今回も、スーツの上部分に黒のロングスカート。
ブローチにパールのネックレスつけてイヤリング。そして扇子をお持ちに。
何だか大聖寺の時と偉く雰囲気が変わっているんですが。
手袋して扇子ですから、とりあえず公式訪問的な色合いが強く見えます。
決してばたばたやる為に持ってたわけじゃないんだと思うんですよ。
じゃあ、大聖寺の普段着スタイルはなんだったのか?
90近いご老人には酷な旅過ぎたのではありませんか?
さて、ネットを騒がせている、戴冠式の紀子様のお着物。
言っときますが、今回の戴冠式は服装に関しては略式が推奨され、民族服も可でした。
なので、紀子様は着物を選ばれたのです。
色や模様に関して外国の王族方は目を見張り、話題になってた。
でも日本ではアンチが「色留袖じゃない」「訪問着なんか着るな」とものすごい勢いでバッシングしていました。
あまりにもひどすぎて、とうとうお出入りの着物屋さんである「和の國」がYOU TUBEで、紀子様の着物を取り上げました。
これによると
紀子様の着物は最高の職人たちが作り上げたもの
訪問着はミセスの方が愛用する格が高い着物
確かに最高の格は留め袖だが、留め袖は上半身に模様がないので訪問着を選ばれた。
薄茶地共濃いぼかし慶長文様と呼ばれるもので、「薄茶地」は薄い茶色だけど桜色も混じる感じの微妙な色合いで染めるのが大変なので職人さん達は苦労する。
「共濃いぼかし」は肩から袖や裾にかけて同じ色味で次第に微妙に濃くなっていくもの。上品な色合い。
慶長文様は江戸時代の慶長年間の小袖に見られた模様の事で豪華なのが特徴。
あしらわれている模様は「松竹梅」「橘」「七宝柄が真ん中に描かれている。演技のいい吉祥文様
技法は最高峰の職人が編み出した糊糸目友禅。一流中の一流が集まった作品。
トータルで出すぎず品がいいもの。
帯は西陣の袋帯の別注品で手で織っている。
七宝文様(金・銀・瑠璃・水晶・シャコガイ・珊瑚・瑪瑙)が円形で連鎖していく縁起のいいもの。円満・調和などの意味合いがあり、
帯揚げ帯留めは金銀
上皇后がお召しになっている着物と同等。神々しく上品な着物である
・・・と素人目に見ても「これは値段がつけられないくらいの高級品で格式のたかいもの」というのはわかります。
着物一つにここまでおめでたいこと、円満や調和などの意味を込めるなんて日本ならではの事ですよね。本当に素晴らしいと思います。
どうやら和の國ではもう1着、紀子様に納めた様子。また上皇后も愛用されているようですね。
つまり和の國は着物を扱う中でも伝統と格式には絶対の信頼があると言う事です。
それなのに、つまらない荒らしがバカみたいに誹謗中傷して情けない。
そしたら今度は「あの着物は本当は雅子様が着るはずだった」とか言い出しているんですって。
嘘ばっかり。園遊会の着物みたでしょ?
ばかでかいあやめと菊。正面にべた。年齢無視して作っているのか?
それこそ雅子さんの着物はどこに発注してどのように作られたのか、業者がツイッターなりYOU TUBEではっきりおっしゃったらよろしいのにね。
ブルーの素晴らしいレースのドレスも、夕食会の時には着替えるべきだったと荒らしは言いますが、私はそう思いません。
同じ方もいましたし、紀子様は夜なのでショールをお召しでした。
あのレースもただものではないって・・・レース好きな私はそう思います。
どうせ着替えたら着替えたで「贅沢」とか言い出すんだしね。
それと、皇族方のお見送りがなかったのは「内廷皇族」ではないから。
京都へ行ったらホテルです。内廷皇族ではないので大宮御所には泊まれません。
何度も申し上げますが、「内廷皇族」ではない皇嗣家は御用邸を使う権利もないし、御料牧場で静養するというわけにもいきません。
天皇が「いいよ。東宮が使う部屋を使えば」と言わない限り無理なんです。
だから常陸宮家も昭和の頃は天皇皇后と御用邸でご一緒した事はあったかもしれませんが、平成になってはありません。
むしろ上皇夫妻は御用邸より軽井沢のプリンスホテルの方が好きで滅多に御用邸にはいかなかった記憶しかない。
上皇はさらに「那須の御用邸は暗いから嫌い」とおっしゃって、何かと言えば葉山だし。
植物学者の昭和天皇は年に半分は那須で研究されていたのにね・・・