畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

大雪崩を思い出す

2013-02-09 04:47:26 | 自然

 休憩室に飾ってある古い感謝状を見て思い出した。
昭和58年かとも思っていたけれど、勘違いであれは56年の事だと改めて気付く。

 今は存在しない団体だけれども、当時は除雪組合と言う組織が有った。
仕事の無い冬場に、国鉄の駅や線路の除雪に従事するための要員を集めた団体だった。

 感謝状には記されていないけれども、この雪崩を発見したのも除雪組合のメンバーだった。
小出駅の夜間作業の除雪を要請されて、電車待ちをしていて雪崩に遭遇したのだった。


 当時所轄の保線区に勤務していた私は、職場からの電話で雪崩を知り駆け付けた。
なんと、電柱と電柱に架かるビームの上にまで雪の後が見える。


 雪崩発生後時間は要したけれども、小型ロータリー除雪車が到着。
手作業での雪の切り崩しと、機械力の併用でようやく線路は開通したのだった。


 この年は、この雪崩の発生まで一週間ほど低温が続き、雪も降り続いた。
各所で雪崩が発生し、死者も出たほどの大雪で後に「56豪雪」として語り継がれた。
写真中央下に北堀之内駅が見えます。


 普通だと、冬でも寒暖を繰り返し、気温の上昇時に少しずつ雪は雪崩となって落ちる。
しかし、この時は低温が長く続き、雪もその間一度も落ちずに大量に斜面に張り付いたのでした。
その溜まった大量の雪が雪の小止みになった夜間に一気に滑り落ちたのです。


 昭和56年と言えば私も30歳代半ばで血気盛んな年齢。
出動して、折りから駅構内に侵入した登り電車の乗客の不満を解消すべく説得したり、説明したりしていた。

 そして、あの表彰された除雪組合のメンバーも国鉄の指揮者の作業指示が不満で怒りも爆発寸前。
指揮者である先輩を物陰に呼び、指揮の仕方を叱ったり、除雪組合のメンバーをなだめたことを思い出す。

 事故の時なんて、仕事に当たるものは必死だし、結構プライドや普段の意識が出るものだと思い知らされた。
誰にも知られていないし、大ぴっらには私も語りもしなかった。
でも、あの大雪崩による列車運行の復旧には、少なからず貢献できたと言う自負だけは残っているのです。
コメント (2)
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