祭りには芝居が付き物だった頃 (その1)
父が数え年十九歳で実父、つまり私の祖父を失ったので、当然ながら私の記憶の中に祖父はいない。
ついでながら祖母も父が数え年三歳の時に亡くなっておりこちらも残された写真で面影をしのぶばかりだ。
祖父は隣村の和南津集落へ机を背負って出かけ、寺子屋のようにして学問を教えていたとも伝えられている。
学校制度が整ってきた明治三十年前後の事だから、今の学習塾のようなものだったのかも知れないが、
今となっては聞くすべもない。
勉強、学問を教えるほどだったから、物を書くことも厭わなかったのかも知れず、
何種類かの貴重な遺品とも言える書物も残っている。「萬覚書」と言うメモ帳のような和綴じの一冊には、
お金の収支から、農産物の取れ高まで細かに書き込まれていて、往時の庶民、農家・農村の暮らしがしのばれる。
そんな書物の中に、芝居の台本が何冊か混じっていた。
祖父が田舎芝居、地芝居の座長を務めていたことも亡父に伝え聞かされている。
とうの昔に我が家の手元を離れたが三味線などもあったから、色々なことに手を染めていたようでもある。
(続く)