膨らみかけた月が三人を照らす
振り返っても前を見ても山ばかり 厚く積もった雪ばかり
籠橇の上で小菊は毛皮にくるまり 源佐も毛皮を着物の上から羽織り
義仁はいつもの薄着
彼の中には力が漲っていて それで寒くないらしかった
そんなふうに進んで行って 東の空が薔薇色となり青くなり夜が明けきって 少し暖かくなった頃 彼らは峠近くまで辿り着いた
過ごした小屋は遥か下だ
下りに入る前 簡単な食事をとる
また動き出す前に下を確認すると 小屋の方へ近付く集団があった
彼らが峠へ達する前にできるだけ距離を稼いでおかないといけない
揺れると傷が痛むだろうに小菊は弱音を吐かず 源佐も懸命に足を動かしている
こういうのに義仁は弱いのだった
会ったばかりの自分を無条件に信じてくれている
何をしても助けてやりたいと思ってしまうらしいのだ
何をやっても敵を蹴散らす
少しでも距離を稼ぐ
戦うなら足場の良い守りやすい場所で
ザザ・・・捜し追う方は目標を見つけると意気があがる
近付いてくる
源佐が抱えるように小菊を抱き 橇に乗り 義仁は力一杯 それを押した
麓に向かい橇は滑る
義仁は追っ手の群れの中に飛び込んでいった
たった一人とのんでいた相手は義仁の縦横無尽 怒濤のような攻撃に その鬼も裸足で逃げ出しそうな異様な強さに 腰砕けになる
主人への忠誠心などありはしない
刀の速さ 力強さ 体の動きの敏捷さ
百人ほどもいるように思える
そこへ恐ろしい狼の遠吠え
山でたまに見るものよりも遥かに大きな狼達が自分達目掛けて駈け登ってくる
先頭走るひときわ巨大な白い狼は悪魔のように見えた
この狼達が何故か自分に味方してくれることが義仁にはわかってきた
戦いのさなか すり寄ってきた白い狼は 彼の腕をとらえ 山を滑り降りる橇へ注意を向け 背を押した
行け―と言うことらしい
後ろ足で義仁の背中を蹴飛ばすと 白い狼は戦いの輪の中に戻っていった
源佐と小菊が乗る橇に追いついた義仁は 彼らを頼宜の住まいに案内した
頼宜は地方へ帰らず 瑠衣子が暮らす尼寺近くに住んでいる
頼宜は義仁との再会を喜んだ
源佐と小菊の事情を知ると 人の面倒を見るのが好きな心に響いたらしい
「動いてみましょう」と頼宜は言った
怪我をしている二人が先に休んだあと 頼宜は義仁に言う
「瑠衣子様に会うてはいかれぬか」
小さく横に首を振る義仁を見て 頼宜はため息をつく
口には出せねど 瑠衣子は義仁を憎からず思っている
淡い・ ・・ どうにもならない想い
その想いだけを支えに瑠衣子は生きていくのだ
ならば姿を見せるは逆に毒となる
「記憶を失う前 何であったか何をしてきたかも判らぬ怪しい素性
わたしは姫様の為にはならぬ」
瑠衣子は瑠衣子としてしか生きられず この自由な男もその生き方を変えることはできぬ
それを充分判りつつ なお残念な頼宜である
「片付けてきたい用事がある 二人の事は宜しく頼む 」
その後 金が出たという噂の山を支配する館の主が その無法な配下達が一夜にして魔物に襲われたが如く凄まじい死に方をしたのだと評判になった
犯人は判っていない
金の出るという山は 帝に献上され 帝の代理で管理を任されたのは まだ若い夫婦 その配下には 帝より選り抜きの者達が選ばれたという
傍らには智恵者の老人がついており 長く主人が不在であった寺には 幻のように美しい尼僧が入りー
京にほど近いその土地は開け栄えたそうな
領地を治める若夫婦も その傍の老人も 寺の主人となった美しい尼も 誰かを待つような様子があったらしい
その待ち人が来たかどうかは分からないが
旅をする男は ある若者との話を思い出し 微かな笑みを口の端に乗せる
「究極 男が女を守るというのは女性としての幸福も見つけてやるーということだ」
若者は主人筋になる娘の将来を案じつつ 自分の心は抑えていた
どれほど大事に思おうとも
その問題もうまく片付いたらしい
領主夫婦は仲睦まじいとの評判だった
男は旅を続ける
自分が失ったものを見つけるまで