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夢見るババアの雑談室

たまに読んだ本や観た映画やドラマの感想も入ります
ほぼ身辺雑記です

「桜風」

2021-03-18 21:05:38 | 自作の小説

桜色の風が吹いた その時何故かそう思った

じきに駅のホームに電車が入って来る

電車を待っていた女性は 体の向きを変える時 肘を折り曲げそっと手の甲で反対側の頬に触れた

長い髪が揺れる 弧を描く

黒いベストに合わせた薄桃色の長袖のシャツ

ブラウスというのか どっちだろう

 

その仕草に見覚えがあるような気がした

 

同じ仕草をしていたのは 誰だっただろう

 

体の向きを変える前の器用な癖

ちょっと物想うように一瞬 頬に当てられる手の甲

後は振り向かない

 

思い出せず 時ばかりが過ぎていく

 

奇妙な春の記憶

クリーム色と黒の古い電車

窓を開ければ 桜の花びらが流れて入ってくる

線路の片側 海の見える側に桜並木が続いている

そっからトンネルに入り 地上を走っていた電車は地下鉄へと変わるのだ

 

あの女性はどういう顔をしていたのか

学生だったわたしは いまや歩くのに杖が必要な身

同じ人間ではないだろう

 

春だった

追いかけて同じ電車に乗りたい

そう思った

何処の誰とも知らぬのに

一瞬のあの仕草にひきつけられたのだ

 

人の記憶というのは 不思議なものだ

今の今迄 すっかり忘れていたのに

 

それでも あれは誰だったのだろう

長袖の袖口から覗く細い手首

 

一瞬の春を その仕草が 呼んだような気がした

 

 

 

あれは誰だったのだろう