Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

失楽園

2007-12-01 | 日本映画(さ行)
★★★★ 1997年/日本 監督/森田芳光

「ちゃんと森田芳光の映画になっている」



今さら「失楽園」のレビューかよ、と思われるかも知れないが、今年「愛の流刑地」なるダメダメ映画を見に行ってしまったものだから、つい見比べ鑑賞のようなつもりで見てしまった。そしたら、何とこの映画、しっかり森田芳光作品として堪能できたので、驚いた。まあ、「愛ルケ」ががっかりしすぎたからかも知れないんだけど。

だって、この作品には「中年の悶え」がちゃんとあるもの。堂々と連絡を交わせない二人が互いの電話を待つシーンなどにふたりのやきもきした気持ちが実にうまく表れていた。やはり、それは映画一筋の森田監督だから作り出せる映像であったからに他ならない。

会社の隅でこそこそ電話をする久木を階段の上から捕らえた映像や、ふたりの隠れ家に向かう久木が買い物袋をぶらさげて坂の向こうから現れるシーンなどで感じる、いい年をした男が女に夢中になっている可笑しさやむなしさ。それは、ちょっとしたアングルの違いや、人物の配置なんです。やはり、セリフではなく、画面が醸し出す余白とか行間のようなものを体感できてこそ、映画。この「失楽園」には、これまでの森田監督の作品で表現されてきた「間」がきちんと存在している。

それから、ラブシーンが非常にいやらしい。下品な言葉で恐縮ですが、この作品はいやらしくないと、何もかもが根底から覆ってしまう。だから、できる限りいやらしいラブシーンでなければならない。ふたりが交わっている場面よりも、黒木瞳の表情だけをずっと追いかけるシーンの何といやらしいこと。あの行為を思い出して物思いにふける役所広司の表情の何といやらしいこと。

久木が家庭にいる時の様子、凜子が家庭にいる時の様子、それぞれを実に冷えた描写で描いているのも、森田監督ならでは。夫の浮気に気づきながらも何も言わない妻の背中、妻に異様な執着を抱く凜子の夫。心の冷気みたいなものが寒々しく画面を通り抜ける。こういった家族間の冷えた心理描写って、森田監督はうまいです。しかも、これがあるからこそ、二人は逃避行に出るのだと納得できる。原作の結末そのものは、なんでそうなんねん、というお粗末な展開ですが、それをさっ引いてもきちんと森田芳光の映画になっているではないか、と改めて感心した次第。