Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

バタフライ・エフェクト

2007-12-02 | 外国映画(は行)
★★★★ 2004年/アメリカ 監督/エリック・ブレス&マッキー・J・グラバー

「せっかくのアイデアがただの『装置』になってしまったのが残念」


(ネタバレですのでご注意下さい)
記憶障害を持つ男が主人公のサスペンス。一時的な記憶の欠落というシチュエーションが非常にスリリングで、映画の前半は謎に次ぐ謎。後半はその謎解きをしようと観客も頭をフル回転させなければならない。記憶をいじるサスペンスと言えばまず思い浮かべるのが「メメント」だが、「メメント」よりも謎は早く解けるし、構成としてはわかりやすい。記憶障害に加え、過去と未来を行ったり来たりするタイムトリップものの面白さも加え、何だか非常に盛りだくさんな映画である。

しかし、個人的にどうしても気になるのは、カオス理論が、この映画の比喩として合っているのか、と言う根本的な違和感。バタフライ効果とは「北京で蝶が飛ぶと、ニューヨークで嵐が起きる」と例えられるように、事象の因果関係の話である。ちょっとした小さな誤差が大きな変化を生み出す、と言う。でもね、過去に戻ってその都度言動を変えれば、未来が変わるのは当たり前。もし、カオス理論を引っ張り出すなら、エヴァンが過去で行った出来事が未来においては、もっと劇的な変化になってないとおかしい。でも、彼が過去に戻って何をしても、彼を取り巻くのは、いつも同じ顔ぶれ。そこがすごくご都合主義な展開に感じちゃうのだ。

とまあ、やはり「構造そのもの」に凝った映画と言うのは、結局何だかんだとちゃちゃを入れたくなるもの。しかも、この結末は、いかがなものか。こんなに何度もいろんな人の人生を変えておいて、これはいけません。結局このラストの彼の行いで、「過去を変えられる」という奇跡を利用したファンタジー映画になってしまった。しかも、記憶が欠落したところしか戻れないというルールがあるように提示していながら、ラストの過去帰りは昔のビデオを見ながら行ってしまう。これは、おかしい。前半部の謎めいた展開は、かなり面白かったし、最初の「過去帰り」は、そのこと自体が何なのか分からなくて、かなりサスペンスフルな展開だったのに、もったいない。

彼が過去において最も悔いているのは、郵便箱の事件でしょ。だったら、それを止めに行った後の人生で物語は終わって欲しかった。その方がよほど、人間の業の深さや宿命というものを表現できたはずなのに。一体、最も表現したかったものは、何だったのか。

記憶の欠落や精神疾患という非常にシリアスな問題を扱っておきながら、とどのつまりそれを単なる過去戻りの「装置」としてしか描いていないことが不満。子どもの頃エヴァンが殺人を連想させる絵を描いて教師を驚かせているシーンが出てくるように、記憶障害を持つ彼自身に観客の興味を惹きつけておきながら、その辺は放ったらかし。結局、このちぐはぐ感がアイデアの一人歩き、というイメージを与えてしまうのだ。

とか文句いいつつも、やっぱりこういう「記憶をいじる」作品って、見てしまうのよねえ。やっぱり、人間の脳って、とってもミステリアスですもん。