Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

シリアナ

2007-12-07 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2005年/アメリカ 監督/スティーブン・ギャガン

「部外者は誰もいない」


アカデミー賞に輝く『トラフィック』のスタッフが集まり、アメリカ当局とアラブの王族、イスラム過激派テロリストの石油をめぐる黒い関係を描いた問題作。


物語を複数の地点で同時進行させ、観客は俯瞰で眺めながら問題の本質に迫る、という映画が非常に多くなっている。私がこの手法の映画で一番最初に出会ったのが、本作の監督が同じくスティーブン・ソダーバーグと作った「トラフィック」であった。その後非常にパーソナル物語を織り込みながら、社会派作品として磨き上げた「クラッシュ」、現在公開中のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「バベル」や「21g」など、同時進行系の物語は増える一方である。

これらの映画に共通するのは、象徴的な悪は存在しているものの、とどのつまりみんな繋がっている、と気づかされることだろう。つまり我々観客も、このクソみたいな経済システムに少なからず荷担していると告発していることだ。同じく現在公開中の「ブラッド・ダイヤモンド」でも、ダイヤという「利権」を巡ってアフリカがずたずたにされていく様子が描かれている。その中でアフリカのある村人が「この村には石油が出なくて良かった」とつぶやくセリフが出てくる。つまり、資源が出れば「白人がむらがって食い物にされる」という意識は、中東やアフリカでは共通の認識、当たり前の考え方なわけである。

資源のない日本にいる我々にしてみれば、そのような発想そのものがショックであり、また「資源国」と「アメリカ」の丁々発止をただ指をくわえて眺めているだけの赤ん坊のような気分にさせられるばかりである。しかし、作品を通して見えてくるのは「部外者はいない」ということなのだ。日本だって、石油がないと生きていけない。アメリカの差し出す石油システムに乗っからないと、おこぼれはいただけない。つまり、CIAが石油産出国の王子の暗殺を企てる背景をたどれば、すぐに日本も荷担しているという図式を作ることは可能なのだ。

私も正直、中東問題なんて、わからないことだらけだ。しかし、問題の一端はこの映画を通してきちんと見えてくる。何も問題は解決されないし、どんでん返しがあるわけでもない、実に硬派な映画。でも、石油という巨大な資源がどこから来てどのように流れ、誰がそのシステムを握っているのか、というしごく根本的ことをまず知らないと、指をくわえて見ているだけからは一歩たりとも脱却できない。この映画はそのきっかけを与えてくれるに十分な非常に中身の濃い作品である。