Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

空中庭園

2007-12-05 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2005年/日本 監督/ 豊田利晃

「小泉今日子に本物の『狂気』を見る」


家族の崩壊を描く映画は多い。どの作品にも共通するのは、「みんな家族という役を演じている」ということ。いい妻、いい夫、いい娘、いい息子。演じることに疲れた彼らはいつかその仮面をはぎ取る。そのような物語を描いた作品は多く、もはや映画に教えられるまでもなく、家族とは仮想世界であること、夫の愛人がつぶやくように子どもの学芸会であることを、もうみんなわかっている。

マゾっ気のある浮気中の夫、不登校の娘、父親の愛人を家庭教師に招き入れる息子。もはやこれらの人物に特異性を感じることはなくなった。悲しいけれど、むしろ、家族の崩壊を描くステレオタイプな人物設定と言っていいだろう。が、それでもなお、この物語がきりきりと痛いのは、小泉今日子に本物の狂気が見えるからだ。いつのまにやら「演技派女優」と呼ばれていることに首を傾げていた私だったけど、本作の小泉今日子はその思いを吹っ飛ばす怪演ぶりだ。

特に彼女が吐く「死ね」というセリフは、何度も私の心をえぐった。仮想家族を壊したくない、ただそれだけを遂行するためにどんどん狂気を身にまとっていく絵里子という女の哀しさ。その元にあるのは母の愛に恵まれなかったトラウマだが、絵里子に一切の同情の余地を与えず、とことん歪んだ狂気を演じさせた豊田監督のサディスティックぶりがいい。

生まれ変わりを想像させるラストシーンも強烈だが、私はむしろ「こんなに崩壊した団地の我が家でも守ろうとしているのは『愛』があるから」と言う夫のセリフが印象的だった。果たしてそれは本心か?それとも妻と同じように仮想家族を壊さない決意が言わせた立て前か。観客により受け止め方の異なる言葉だと思う。

ともかく豊田監督の金属的で突き刺さるような演出は、巷にあふれるなまっちろい家族崩壊物語とは明らかに異なり強烈な痛さを伴うが、それを堂々と受け止めた小泉今日子の開き直りが実に印象的。そして、この際どい映画が地に足つけていられるのは、彼女の開き直りを真っ向から受け止める母役の大楠道代の演技力も大きい。ふたりが衝突するシーンは、実に恐ろしく、まばたきもできないほど引きつけられた。