Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

善き人のためのソナタ

2008-03-16 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★★ 2006年/ドイツ 監督/フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
「奪われた人生は取り戻せるのか」


旧東ドイツで実際に行われていた、国民が国民を監視する組織「シュタージ」の実体を暴きつつ、人間の尊厳とは何かを訴えかける傑作。

こういう社会的な問題を扱う作品を見てきて痛切に思うのは、いかに「個の物語」として落ちているかが重要だと言うこと。「グアンタナモ」しかり、「ブラッド・ダイヤモンド」しかり、「ゾフィー・ショル」しかり…。ひとりの人間の苦悩、生き様を通じて訴えるからこそ、扱うテーマは大きくても、我が事のように共有できる。「善き人のためのソナタ」も、ヴィースラーという男の孤独と苦悩を通じて「シュタージ」という非人道的なシステムが人間の尊厳を、人間の人生そのものを奪ってしまう様子を克明に感じ取ることができた。

一番上まで律儀にジッパーを閉める。交代時間ぴったりに監視部屋に到着する。家と監視部屋を往復するだけで趣味ひとつない。「監視」というまがまがしい行為の向こうに見えるのは、ひとりの男のあまりも味気ない日常と孤独。そんなヴィースラーの人物描写が実に巧みである。ヴィースラーは、ドライマンより立場は上かも知れないが、その人生の彩りのなさは比べものにならない。だからこそ、ヘッドフォンの向こうから聞こえてくる豊穣な世界に引き込まれるのを抑えられないのだ、と見る者を納得させる。

物語の中盤は、ドライマンの執筆がシュタージに見つかるのかどうかという、サスペンス的展開になり、重いテーマながら物語をぐんぐん引っ張る力を見せる。そして、感動のエンディングへ。

ベルリンの壁崩壊後、シュタージに監視されていたものは本人に限り閲覧が許されるようになった。その事実に私は大変驚いた。恥ずべき過去に蓋をするのではなく、逆にオープンにするという選択肢。しかも、この情報公開がきっかけとなり、ドライマンはヴィースラーの存在を知る。つまり、ヴィースラーが再び己の人生を取り戻したのは、この情報公開という選択肢を国が選んだからでもある。この展開は、過ちを犯した国でも、正しい一歩を踏み出せば、また国民に希望を与えることができるという、もう一つのメッセージとは受け取れないだろうか。つまり、過ちを犯したことのある、全ての国に希望とは何かを示唆するエンディングだったのだと。

最初に「個の物語」としてすばらしいと書いたけれども、こういう大きな目線に立っても語ることのできる懐の深さを持つ作品。映画大学の卒業制作、かつまだ30代前半の若手監督とは到底思えぬ完成度の高さだ。アカデミー受賞は実に納得。本当に昨今のドイツ映画のレベルの高さをまざまざと見せつけられた1本だった。