Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ディパーテッド

2008-03-22 | 外国映画(た行)
★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ
「愛だろっ、愛」


オリジナルが好きな人間としての感想なのですが。

いわゆる普通の「警察VSマフィア」ものという仕上がり。それ以上でもなく、それ以下でもない、という感じ。リメイクと比べて、という話題で終始しても、この「ディパーテッド」という作品単体に関するレビューとはならないことはわかっています。しかしながら、それ以外に語ることがないのです。残念ながら。

作り手の「物語への愛」と言ったら何だか大げさだが、私にはそれが感じられなかった。いくらリメイクと言えども本作の見どころは、男の哀愁だったはず。己の素性を隠して、自分を、そして愛する人を偽ってでも生きねばならない二人の男の孤独。それは、マフィアから警察へ、警察からマフィアへというまさしく対称的な二人の生き方によってあぶり出されてくるものだった。

しかし、「ディパーテッド」では、ビリーとコリンの孤独や焦燥を伝えたい、という意思が見受けられない。つまり、ふたりの境遇の切なさに身を切られるような痛みを感じなければ、いずれ正体がバレるのではないかというハラハラ感も感じない。それが、作り手の「物語への愛」を感じないと思う理由。

もちろん、元の物語を知っているからでは?と考えられるが、これだけリメイクブームで種々の作品を見ていると、一概に知っているから楽しめない、ということでもないのだとわかってきた。孤独な男の焦燥感は、唯一ディカプリオの演技によってのみ伝わってくる。彼の演技を見ていると、もしかして監督よりもこの作品のコンセプトをきちんと理解していたのではないか、という気すらする。つまり、それほど演出及び脚本面で男の哀愁を描こうという意図はほとんど感じられなかったということ。

オリジナルをご覧になっていない方は、ジャック・ニコルソンの演技に目を奪われたことでしょう。さすがに貫禄の演技。が、しかし。二人の孤独を浮き彫りにする、という第一目標があるのなら、彼の存在感は邪魔者でしかない。あんまり彼が目立つもんだから、違った意味でだんだん腹が立ってきました(笑)。

「おのれを殺す」というテーマに惹かれるのは、やはりアジア人らしい感性なのかも知れない。そして、シリーズを貫く「無間道」というテーマ。これは、仏教観に基づいているでしょ。それを舞台をアメリカに変えて描こうというのだから、ハナから無理があったのかも。警察とマフィアの話だろ?と、ほいほいリメイクしてしまった、そんなお気軽感が感じられて、これまた物語への愛が感じられないのだ。