Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

殯(もがり)の森

2008-09-12 | 日本映画(ま行)
★★★★★ 2007年/日本・フランス 監督/河瀬直美
「揺さぶられる母性、制御不能な感情」



とても感動しました。カメラはよく揺れるし、車の中のシーンは暗くてはっきり見えないし、セリフだって聞きづらいし。それでも、胸の奥がきゅーっと締め付けられるような感覚に何度も襲われました。深い森の奥でしげきさんが大木に抱きついた辺りから涙が止まらなくなってしまったのでした。

茶畑のかくれんぼ、木登り。無邪気なしげきさんに、真千子は亡くした息子を重ねた。車の中から消えてしまったしげきさんを必死に追いかける真千子。行かないで、消えないで。自分が手を離してしまったことで、真千子は再び罰を受けるのだろうか。森の中の追いかけっこ。それは、生と死の境界を行ったり来たりする追いかけっこ。「行ったら、あかん!」真千子の悲痛な声が胸に突き刺さる。そのやりきれなさと哀しみが私の心の中に洪水のように入り込んでくる。そして、突然私はフラッシュバックを起こし、真千子と同じような体験をしていることを思い出した。川遊びに出かけた際、息子がもう少しで川にのみ込まれそうになった夏の思い出。同じように「行ったら、あかん!」と声が枯れるまで叫び、息子を抱きしめて自分の不注意を嘆き、何度もごめんと謝ったあの日。

そして、森での一夜。真千子が裸になったのは、大切な者を守りたいという衝動的で原始的な行為だと感じた。そして、再び私は自分の原体験が頭をよぎる。息子が赤ん坊だった頃、布団の中で裸になって彼にお乳をあげていた自分。そこに、紛れもなく流れていた恍惚の瞬間。それは男女間に訪れる恍惚ではなく、もっと人間本来の原始的な恍惚。ふたりが森の奥へと入った時から、私の中の心の奥底に眠っていた記憶がとめどなく引っ張り出されて仕方がなかった。私の中の母性が疼くのだ。夜が明け、朝靄の中でしげきさんがずっとずっと遂げたかった思いを完遂させる一連のシークエンスは、とても感動的。土に眠るしげきさんを見守ること、それは真千子にとって亡くした息子を見送ることだった。森や土、そこは人間が還る場所、母なる場所。私たちは包まれている。この怖ろしくも、美しい場所に。

ドキュメンタリースタイルだからこそ引き出されるリアリティ。演技者のつたなさがもたらす不安感。息を呑むように美しい風景。息苦しくなるような暗い森での追いかけっこ。様々な感情が堰を切って流れ出す、何とも濃密な作品。荒削りと評されることもあるようですが、荒削りだからこそ、この揺さぶられるような感覚が起きるのではないかとすら思ってしまう。下手にうまくならなくていいんじゃないか、むしろ、私はそんな風に思ってしまうのです。