Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

パンズ・ラビリンス

2008-09-29 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2006年/メキシコ・スペイン・アメリカ 監督/ギレルモ・デル・トロ
「これこそ、ダーク・ファンタジーの名にふさわしい」



ハリー・ポッターやダレン・シャンなど、昨今ダークファンタジーと呼ばれるものが多いが、本作は子供向けではない、と言うことを差し引いても、結末のあまりの残酷さに、これぞ真の「ダーク・ファンタジー」だと感動した。オフェリアが夢見たラビリンスの女王が母親であったのを見るに、全ては恐怖の海に漂う娘が描いた幻想、いや幻想というオブラートに包んだ言葉などではなく、幻覚だったのではないかと思わせるエンディング。年端も行かぬ少女を恐怖のどん底まで叩きのめし、狂わせてしまう。なんと、恐ろしい作品か。

パン(牧神)とは、西洋の神話によく出てくる神らしいが、彼が何のシンボルでどのような役割を果たしているのか、私は知らない。この作品を通じて見るパンは、その容貌も醜く、王女を座に導くものとしては、あまりに居丈高である。全くもって好ましくない。もし、これが少女の幻想ならば、その世界はもっと美しく雅で、心の逃げ場として描かれるであろう。しかし、パンは一方的に彼女を脅かす存在であり、過酷な試練を乗り越えねばならないという展開が、まさしく幻覚ではないかと思わせるのだ。

何度も流産しそうになるオフェリアの母の血を始め、そこかしこで血を流す人々。オフェリアが直面する現実世界の描写もすさまじい。目を背けたくなる暴力シーンの中に人間のエゴイズムと戦争の狂気が宿る。現実も悪夢、そしてラビリンスを目指す道も悪夢。しかし、スクリーンから全く目が離せない。悪夢だからこそ発せられる、蠱惑の世界。毒だとわかっていても、その鮮やかな色合いについ人々が手を伸ばしてしまう毒キノコのように。