Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

追悼のざわめき

2008-09-30 | 日本映画(た行)
★★★★★ 1988年/日本 監督/松井良彦
「私たちは同じ世界に生きている」




女を殺し生殖器を切り取る殺人犯、彼を愛する小人の女とその兄、幼い妹を愛する青年、女性性器に似た切り株をひきずる乞食、公園で物乞いをする傷痍軍人。異形なものたちによる孤独と狂気をまとった行進。もっと散文的な作品かと思ったが違った。地を這うように生きる社会のはみ出し者たちの情念が廃ビルの屋上に捧げられた一体のマネキン人形に向けて引き寄せられ、全てが破滅してゆく物語。泥臭く、血なまぐさいストーリィ。吐き気を催すようなリアルで汚らしいカットが続く。そこに、ふと静謐なムードを感じる方もいるようだが、私は違った。私が強く感じたこと。それは、私たちと彼らは同じ世界に生きている、ということ。

彼らは今、どこにいるのだろう。空き地や山がどんどん整備され、区画整備された土地で同じ顔の家々が並び、人々の生活はどんどん清潔になっていく。醜いものや汚いものが、どんどん「初めからないようなもの」と見なされてゆく。いや、彼らは今でもいるのに、彼らの息づかいすら感じられぬ遠いところに私が来てしまったのだろうか。

道徳や常識を飛び越えて、作り手の熱情がびしびしと伝わる作品が好き。そういう作品を目の当たりにした時の私の気持ちはまさに「受けて立つ」。これは、久しぶりに受けて立つと言う気持ちにさせられた。そして、果たして、もしこれがカラー作品なら私は最後まで見られただろうかとも思うのだ。グロテスクで汚らしい描写が続く中、もし、この作品の中に“美”を発見することができたのなら、それはまさしくモノクロームの力ではないか。兄に犯された妹の体から溢れ出る止めどない鮮血も、行く先を失った難破船を呑み込む海に見える。モノクロームの力強さをひしひしと感じた。