Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

セックスと嘘とビデオテープ

2008-09-15 | 外国映画(さ行)
★★★★ 1989年/アメリカ 監督/スティーブン・ソダーバーグ
「アメリカ映画だとは思えなかった」



デビュー作にしてカンヌでグランプリということも驚きでしたが、性と言うフィルターを通して自己と向き合う作品を若いアメリカ人監督が撮った。その事実がとても感慨深かったのを覚えています。面白い監督が出てきたもんだと思ってましたけど、まさか「オーシャンズ」のような娯楽大作を撮るようになるとは。

1989年の作品。もう20年近くも前なんですね。これまで何度も見ているのですが、久しぶりに再見。作品の訴求力は全く色褪せていませんでした。公開当時は、自分のセックス体験を告白する女性のビデオを撮る男、という設定の面白さで突出したように見えましたが、2008年の今見れば、自己解放という実に普遍的なテーマだなと思えます。しゃべる相手がカウンセラーではなく、通りすがりの男と言うだけのこと。流行りの言葉を使えば「癒し映画」とすら呼べるのではないでしょうか。

一方、人にではなく、「ビデオカメラ」だからこそ安心して自分自身を見せられるということ。これは、コミュニケーションの媒介物としての映像メディアの可能性を見事に捉えており、その先見性に驚きます。目の前にいる妻ではなく、ビデオの中の妻を見て、夫は妻を理解するのですから。もちろん、ビデオで語っていることが本当かどうかなんてわかりません。見栄を張っているかも知れないし、グレアムの気を引こうとしているのかも知れない。しかし、「告白」をすることで気持ちや態度がこうも変わってしまう人間心理は十分に伝わりますし、結局その告白を聞いている人間も、ただ耳を傾けているだけではなく、その告白者に対して影響を与えているのだ、と物語を着地させるところが素晴らしいと思います。話したい人間には話したい理由があり、聞いている人間には自分が聞き手に選ばれている理由があるということ。とても26歳で仕上げた脚本とは思えないですね。

物語を引っ張るのはジェームズ・スぺイダー の存在感です。面白いし、完成度の高い脚本ですけど、このグレアムと言う男の不可解さに観客が好奇心を持たないと、ただの趣味の悪い映画になりかねません。そこんところ、ジェームズ・スぺイダーは、グレアムという男が秘めている虚無的な雰囲気、得体の知れない生ぬるい感じを実にうまく演じている。この男になら、私だって告白してしまうかも知れません。

カンフーハッスル

2008-09-14 | 外国映画(か行)
★★★★☆ 2004年/中国・アメリカ 監督/チャウ・シンチー
「家族全員で大爆笑できる作品ってそうそうない」



映画館で見たのに、テレビで見て、やっぱり爆笑しました。「○○の達人」の○○がどいつもこいつも、思わずぷーっと吹き出してしまうような馬鹿馬鹿しさです。こりゃ、まるでドラゴンボールだね、なんて言ってしまい、なんのこたーない、ドラゴンボールが香港クンフー映画に多大な影響を受けているんでしょうから、なにをか言わんやです。

馬鹿馬鹿しい描写があまりにクオリティ高くて、天晴れと言いたいです。本場クンフー映画の実力と、Mr.Boo以来、綿綿と培われてきたコメディセンス、そして最新のCG技術。何もかもが、馬鹿馬鹿しさに向けて最大限のパワーで集結しています。その圧倒的な「突き抜け感」が本当に見ていて気持ちいい。下品でしょうーもないギャグも多いんですけど、それらが脱線せずにしっかりと作品の中に組み込まれているのは、作り込みがしっかりしているからに他ならないと思います。見どころと呼べる格闘シーンが惜しげもなく次から次へと出てきて、家族全員で「がはは」と大笑い。これぞ、一家団欒の極みです。

主演のチャウ・シンチーは、とっても私の好みなんです。突然「気」の流れが変わったなんて、都合のいい展開もご愛敬。白いチャイナブラウスに黒いズボンとカンフーシューズを履いて、バッタバッタとなぎ倒す姿は素直に「キャー、カッコイイ~」。そもそも、私が20代の時クンフー映画にあまり興味が持てなかったのは、ジャッキー・チェンのルックスが…(以下省略)。と、いうわけで新作が6月下旬に公開されるようです。「少林少女」を楽しみにしていた息子につまらないらしいから止めておけ、と説得したオカンとしては、こちらに期待。インディの新作よりも、シンチーの新作を楽しみにしている親子であります。

少し話は変わりますが、実はこの「カンフーハッスル」をテレビで見た次の日に、日本の空手映画「黒帯」を見たんですね。(数日前にレビューしました)香港のクンフーは技のレベルの高さに加えて、エンタメ精神にあふれ、少々下品だろうか思い切り笑い飛ばすほどの大らかさ。片や、「黒帯」は神棚を奉った道場で鍛錬にいそしみ、横やりを入れるのは帝国陸軍の将校。なんだかね、もの凄い温度差を感じてしまったんです。やっぱりアクション映画はスカッとしている方が私は好きだな。

闇の子供たち

2008-09-13 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2008年/日本 監督/阪本順治
<京都シネマにて鑑賞>
「考えて欲しい、という強い思い」


救いがないとは聞いてはいましたが、これほどとは思いませんでした。それは、やはり原作を改編したという、主人公南部の秘密があまりに強烈で。これから、ご覧になる方もいると思いますので、内容は控えておきます。何かがあると聞いてはいたのですが、私はこれは全然予測できませんでしたので、余計に呆然となりました。

この改変については、賛否が分かれることでしょう。しかし、私は阪本監督が並々ならぬ意思を持って、このエンディングにしたという決意を感じました。「我々観客=幼児売春、臓器売買などやってはいけないというモラルの持ち主」は、後半に行くにつれ、その思いを主人公南部に託します。なんとかしてくれ、と。それが、あのエンディングですから。これは、その思いを人に託すな、自分の意思で行動せよ。というメッセージだと私は受け止めました。

非人道的な臓器売買が行われるのがわかっていながら、どうしようもできない。しかし、南部は「俺はこの目で見るんだ」と繰り返し言います。まさしく、この言葉こそ我々観客にとっては、「私たちは今このスクリーンでそのどうしようもない事実を自分の目で見るのだ」という行為につながっているように思います。

そして、ラストカットがすばらしいのです。ああ、なのに。流れてくるのは桑田のかる~いサウンド。苦々しい余韻が吹っ飛んでしまいました。あれは、ないでしょう、ほんと。

阪本作品は人情悲喜劇が好きなのですが、本作では笑いを誘うようなセリフや間など全く存在せず、ひりひりと痛い2時間が過ぎていきます。私が感銘を受けたのは、作品のほぼ9割ほどを占めるタイでのロケです。人々がごったがえす街中や、暗い売春宿など、まるでそこに居合わせているようなほど、リアルな情景が続きます。ロケハンを始め、現地スタッフとのやりとりなど、苦労が多かったろうと思いますが、見事に報われています。そして、子供たちの演技がとても自然です。阪本監督は子供たちへの演技指導、そして演技後のケアにとても力を注がれたと聞きましたが、彼らの無言の涙とスクリーンを見つめる目に胸が締め付けられました。

この事実をひとりでも多くの日本人に伝えたい。本作の存在意義はその1点に尽きると思います。江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡。もしかしたら、別のもっと堅実な俳優陣が出演していた方が、作品としてはもっと落ち着きのある重厚な感じに仕上がったかも知れない。それは、否めません。しかし、彼らのような有名俳優が出演していることによって、より多くの観客動員が見込めるのなら、そちらを選択する、ということではないでしょうか。現在の観客動員ももしかしたら「篤姫」効果かも知れない。それでも、いいから見て欲しい。そういうことではないでしょうか。そういう意味において、周防監督の「それでもボクはやってない」と立ち位置の似た作品かも知れないと感じました。

殯(もがり)の森

2008-09-12 | 日本映画(ま行)
★★★★★ 2007年/日本・フランス 監督/河瀬直美
「揺さぶられる母性、制御不能な感情」



とても感動しました。カメラはよく揺れるし、車の中のシーンは暗くてはっきり見えないし、セリフだって聞きづらいし。それでも、胸の奥がきゅーっと締め付けられるような感覚に何度も襲われました。深い森の奥でしげきさんが大木に抱きついた辺りから涙が止まらなくなってしまったのでした。

茶畑のかくれんぼ、木登り。無邪気なしげきさんに、真千子は亡くした息子を重ねた。車の中から消えてしまったしげきさんを必死に追いかける真千子。行かないで、消えないで。自分が手を離してしまったことで、真千子は再び罰を受けるのだろうか。森の中の追いかけっこ。それは、生と死の境界を行ったり来たりする追いかけっこ。「行ったら、あかん!」真千子の悲痛な声が胸に突き刺さる。そのやりきれなさと哀しみが私の心の中に洪水のように入り込んでくる。そして、突然私はフラッシュバックを起こし、真千子と同じような体験をしていることを思い出した。川遊びに出かけた際、息子がもう少しで川にのみ込まれそうになった夏の思い出。同じように「行ったら、あかん!」と声が枯れるまで叫び、息子を抱きしめて自分の不注意を嘆き、何度もごめんと謝ったあの日。

そして、森での一夜。真千子が裸になったのは、大切な者を守りたいという衝動的で原始的な行為だと感じた。そして、再び私は自分の原体験が頭をよぎる。息子が赤ん坊だった頃、布団の中で裸になって彼にお乳をあげていた自分。そこに、紛れもなく流れていた恍惚の瞬間。それは男女間に訪れる恍惚ではなく、もっと人間本来の原始的な恍惚。ふたりが森の奥へと入った時から、私の中の心の奥底に眠っていた記憶がとめどなく引っ張り出されて仕方がなかった。私の中の母性が疼くのだ。夜が明け、朝靄の中でしげきさんがずっとずっと遂げたかった思いを完遂させる一連のシークエンスは、とても感動的。土に眠るしげきさんを見守ること、それは真千子にとって亡くした息子を見送ることだった。森や土、そこは人間が還る場所、母なる場所。私たちは包まれている。この怖ろしくも、美しい場所に。

ドキュメンタリースタイルだからこそ引き出されるリアリティ。演技者のつたなさがもたらす不安感。息を呑むように美しい風景。息苦しくなるような暗い森での追いかけっこ。様々な感情が堰を切って流れ出す、何とも濃密な作品。荒削りと評されることもあるようですが、荒削りだからこそ、この揺さぶられるような感覚が起きるのではないかとすら思ってしまう。下手にうまくならなくていいんじゃないか、むしろ、私はそんな風に思ってしまうのです。

ショートバス

2008-09-11 | 外国映画(さ行)
★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/ジョン・キャメロン・ミッチェル
「その孤独はセックスでないと埋められないのか」



人間とは何て哀しい生き物なの。誰も彼ももがき苦しんで、ほんのちっぽけでもいいから、誰かとの絆を求めている。その性の有り様が赤裸々であればあるほど、その滑稽さの向こうにそれぞれが抱える孤独が透けて見える。誰かと繋がっていたい。その欲望を満たすのは、文字通り肉体的に繋がるセックス。

ありとあらゆるセックスのカタチが描写される本作。J・C・ミッチェルのチャレンジャー精神はすごいと素直に感嘆。バイブレータのネーミングは「愛のコリーダ」ですか。セックスを通して、人間存在そのものを捉えようと言う意欲は伝わる。

しかしである。果たして人生セックスが全てなんだろうか。そんな疑問も覚えて当然。心から愛する人のものを受け入れられないことは絶望なの?愛する人とのセックスでオーガズムが得られなければ不幸なの?そんなはずはないのだ。そっと肩を寄り添うだけで、手と手を握り合うだけで満ち満ちた幸福感を得られることはある。しかし、そう断言できる私は今幸福だからなんだろう。もっと深く、深くと相手を傷つけてまでも、求めずにはいられない。それほど、彼らの心の空洞は大きい。もしかしたら、この映画は自分の幸福度を知るリトマス試験紙なのかも知れない。彼らの渇望が理解しがたければしがたいほど、今の自分は幸福なのかも。

それでもなお、一人ひとりが抱える孤独の由縁をもう少し丁寧に描いてくれたら、と言う思いは残る。やはり、同性として、ただひたすらにオーガズムを追うソフィアの姿は、目を覆いたくもなった。叡智を意味するソフィアと名付けられていることから、監督が彼女に込めた意図は慮ることはできるものの、背景の少なさから彼女に共感するのは、とても困難。肉体的反応としてのオーガズムを得られたからと言って、果たしてその向こうに幸福が広がっているのか、と言う疑問はぬぐえない。

ラストに提示されるのは、性の解放区とも呼ぶべき楽園。狂おしい渇望にあえぐ人たちへ贈るハッピー・エンディング。9.11後のN.Yに、どうか希望が生まれますようにと言うJ・C・ミッチェル願いがそこに現れている。

007/カジノ・ロワイヤル

2008-09-10 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/マーティン・キャンベル
「ボク、スパイなんかやめます」



冒頭のパルクールの第一人者セバスチャン・フォーカンを追い詰めるシーンがすばらしい。CGやワイヤーを使わずに、限界まで走って、走って、跳びまくって。追いかけっこという極めてシンプルなアクションシーンを最初に持ってきたことで、この映画は生身の体で勝負するんだ、ということがよくわかります。ダニエル・クレイグはよく付いていってますよ。このシーンでもうお腹いっぱい!

もともと007シリーズには、何の思い入れもなく、すぐに女とデキちゃう無敵のスパイなんて、むしろ興味がない方。しかし、ダニエル・クレイグは、しっかり体張ってアクションシーンこなしていて天晴れです。というよりも、陳腐なストーリー展開はもう時代に受け入れられなくなったってことでしょう。人間だから失敗もする。そのリアリティを逆手にとって、新たなボンド像を創り上げた。このボンドには母性本能をくすぐられます。スマートと言うよりもダメ男テイストの方が強い。だって、辞めますってメール1本はないだろうよ。でも、体はスゴイんですって、ことで許す(笑)。007シリーズは、すぐに女を引っかけるもんで男性向けと思ってましたけど、新たな女性ファンをしっかりつかみましたね。

それにしても、旬の映画です。旬を逃して見ると、それだけ味も落ちちゃう感じがする。公開時、話題になっている時に見るべき作品だと思わされました。だって、せっかく見たのに、今頃見てやんの~って指を差されてるような気分。それはつまり、話題性や新鮮味にあふれた作品ってことですから、Newボンド誕生は、大成功ってことだったんでしょう。次作は映画館で見ます。

サウスバウンド

2008-09-09 | 日本映画(さ行)
★★★★ 2007年/日本 監督/森田芳光
「子供は大変だろうけど、面白いオヤジ」



あまり期待していなかったからでしょうか。とても面白かったです。

森田監督は好きな監督です。私の映画友が「出来不出来の差が激しい」と嘆いていましたが、そうかも知れません。ただ、私はとても安心して見ていられます。阪本順治監督の作品を見るときの安心感と近いです。校庭の外を捉えた映像が何秒かして、すーっと教室に移動していく。そんな安定していて、ゆったりしたカメラの動きが好きなのかも知れません。子役たちへの演出もガチャガチャしていないとでも言いましょうか、のんびりゆっくりやらせている感じが良いです。子役って、どうしても突っ走ってしまいますからね。妹の女の子の飄々とした感じがすごく好ましかったです。

さて、本題。ファン目線をさっ引いても、上原一郎を演じる豊川悦司が良かった。正直、この役どころを聞いた時に、私は怖くて映画館に足を運べませんでした。かなりイタい役どころなんじゃないかと思ってましたから。ところが、どっこい。バッチリじゃないですか。きょとんとした奇妙な間を作ったり、ニコニコしながら全共闘時代を思い出させる演説をぶったり。おかしなお父さんぶりが板についています。

「学校指定の体操服がこんなに高いのは、業者と学校が癒着しているからだ!」と常日頃言っている私としましては(笑)、上原一郎のやること、なすこと、共感してしまいました。彼らが西表島に移住して問題に巻き込まれた時に、妻が「どこに言っても同じなのね」とつぶやくセリフも同感。西表の問題なのに東京の有名キャスターだか、NPOだかが首を突っ込んでいる辺りを皮肉たっぷりに描いているのも、共感。このあたりの物語のディテールの面白さは原作の力なんでしょうね。

そして、沖縄キャストにいかにも素人くさい人たちにお願いしているのが、味があっていいのです。校長先生は「恋しくて」にも主演されていた女優さんだと思いますが、やはり沖縄の話には沖縄の人に出てもらわないと。そんな中、駐在さん役の松山ケンイチが光っています。彼はバイプレーヤーの方が存在感を出すと思うのは私だけでしょうか(Lは除く)。


ハンコック

2008-09-08 | 外国映画(は行)
★★★★ 2008年/アメリカ 監督/ピーター・バーグ
「鮮やかな転調」


今流行りの悩めるヒーローものから、どれほど個性的なものに仕上がっているのかをポイントに観賞。何の予備知識もなく見た方が面白いという周囲の声に従いましたが、これネタバレしたら、面白いこと何にもなくなりますやん!と、いうわけでとっても感想の書きづらい作品です。

まさしく、ネタバレできない後半への物語の転調ぶりが実に鮮やかです。これが、この作品の一番いいところですね。ええっ?と思っている間にあれよあれよと、全く違う物語が始まる。強大なパワーゆえに嫌われ者になっているハンコックですが、彼の投げやりな言動は、記憶喪失の天涯孤独な身の上から来ています。その彼の孤独感が、この転調を境に浮き彫りになっていきます。

それでもかなり荒唐無稽で、説明不足な感もあるのは事実。そこは敢えて語らず90何分にまとめあげることを優先したのかなという気がします。コンパクトに仕上げることを、優先した、というのは、それはそれでアリな感じもします。説明不足によるモヤモヤ感もハンコック演じるウィル・スミスの孤独感がきちんと伝えられていたので、あまり気にはなりませんでしたね。むしろ、彼の取った選択にちょっと胸を締め付けられたりして、うるっときそうになりました。

ただ、カメラがぐらぐらと揺れるのが終始気になりました。冒頭のベンチのシーンは、ハンコックがアル中だから、彼の目線を描写しているんだろうと理解できます。それでも、大きなスクリーンに映るアップの顔がぐらぐらと揺れているというのは、気分的に耐え難いのです。映像関係のお仕事の方にお尋ねしたところ、これはステディカムではないかとのこと。やはり、アクションシーンでなく、人を映す時はカメラは固定して欲しいと思う、旧型人間なのであります。

さてさて、明かされた秘密の件ですが、これは突っ込めば突っ込むほど、宗教的な世界観が絡んできそうです。本作では、突っ込めるほど明らかになっていないので、何とも言いようがありませんが、この隠し具合はどうやら「ハンコック2」を作ろうという製作者側の意図が見えます。そうなった時に、しっかりと世界観が構築できるのかというのがポイントになると思います。私は、アダムとイブの物語なのかな、と思っているのですが。あっ、ネタバレ?

黒帯

2008-09-07 | 日本映画(か行)
★★★☆ 2006年/日本 監督/長崎俊一
「なぜこの時代背景にしたんだろう」




主演を演じるふたりの格闘家の存在感がすばらしい。義龍を演じる八木明人は国際明武館剛柔流空手連盟館長、大観を演じる中達也は日本空手協会総本部師範。共になかなかの男前で本作に限らずまた日本の映画で出て欲しいと思わせる逸材ではないでしょうか。小さい頃、千葉真一率いるJACが好きで彼らの体を張ったアクションにワクワクしたものです。しかし、最近はCGやワイヤーの発達もあって、生の体の動きそのものにワクワクするような日本人俳優にはめったにお目にかかれません。

本作で見られる空手の技は、派手さはありませんが、これぞ一撃必殺。ビュンッとかシュッとか、静寂の中に響く技の音がその切れ味のすごさを物語っています。ジャンルは全然違うんですけど、タイガースの金本選手のロッカールームでの素振りを思い出しました。毎試合終了後、他のメンバーも帰路につき、静けさに包まれたロッカールームで彼はバットを振る。びゅんっ、びゅんっと空気を切る音には金本の気合いが込められている。そう、「気」を感じる音なのです。動きもいたってシンプル。跳んだりはねたりなど、全くありません。ただひたすらに相手の動きをじっと見守り、一発でうち止める素早い動き。一流の空手家とは、このように闘うのかと正直目からウロコでした。

しかし、ひとつ苦言を言わせてください。この作品、話が暗い。暗すぎる。憲兵隊隊長が恥を理由に自害したり、日本帝国万歳時代の日本人のいやーなメンタリティが横行していて、見ていて良い気分ではありません。もちろん、それに空手家は立ち向かっていくわけですが、それにしても話が暗い。めったに見られぬ格闘家のスゴ技、もっとシンプルに悪いヤツをやっつけるような晴れの舞台で私は見たかった。何もド派手なアクション作品にして欲しかったと言っているわけではありません。また、空手における精神性の大切さというのは十分に理解しているつもりです。

空手をやっている息子と一緒に見たのですが、最初は興奮して技の名前を連呼したりしていました。しかし、残念ながら彼は途中でリタイア。暗いこともそうですし、何よりストーリーが陳腐です。崖から落ちたところを村人に助けられるって、一昔前の時代劇じゃないんだから。監督が長崎俊一で脚本が飯田譲治というクレジットに大きな期待をかけたのに残念。もっとエンターテイメントに作り込んで欲しかった。「真の空手映画を作りたい」と言う製作者の気合いは、びんびんに伝わってくるだけに、本当にもったいないと思いました。

舞妓 Haaaan!!!

2008-09-06 | 日本映画(ま行)
★★★★ 2007年/日本 監督/水田伸生
「人生ゲーム、実写版」



ゴールは、舞妓さんとの野球拳。ルーレット回して、はい出世したー、はい野球選手になったー、はい職を失ったーとコマを進める。これは、爆裂人生ゲーム、実写版ですね。でもね、バカにするつもりはないです。結構腹を抱えて大笑いしました。物語の結末は、なんだかなあと言う感も否めませんけど、十分楽しませてもらったので、大目に見ます。

こういうおバカムービーの場合、とことん他人事として楽しむ、というのが肝心です。例えば、何とか甲子園のような野球映画なら、「そんな球、普通投げられないだろ!」とか思ってると、もうそこで楽しめないわけです。本作の場合、花街の描写についてツッコミどころがないわけではないのでしょう。しかし、私は全く気になりませんでした。私は大阪出身、京都在住の生粋の関西人ですが、それでも「花街」って一体どんなところやねん?というのはあるわけです。一見さんお断りは、別に何とも思いませんが、あれだけ芸を磨き修業しても、結局パトロンがいないと道が開けないって、それは一体どういうことやねん?とか。わからないことだらけです。ベールに隠された世界「花街」の存在そのものを斜めに見ている私は、それこそ全く無責任に楽しんでしまいました。

周りを固める役者に関西出身者を多く配置しているのがいいです。阿部サダヲがしゃべる強烈なイントネーションの下手くそ京都弁を際だたせるためには、周りの役者がきちんとしたはんなり京都弁をしゃべれなければなりません。一番光っているのは意外にも駒子を演じる小出早織という若手女優。非常にさっぱりとした顔立ちで、舞妓はんの白塗りがとても似合っています。京都出身なんですね。清楚な雰囲気もバッチリです。派手な顔立ちの柴崎コウの白塗りと良いコントラスト。また、阿部サダヲのハイテンションにみんなが付いていってこそ、成り立つ作品。ゆえに堤真一の功績も大きい。えらい口の汚い役ですけど、とことん弾けてます。柴咲コウのやる気のなさが見え隠れするのですが、周りのパワーにかき消されてしまったのは、不幸中の幸いってことでしょうか。

20世紀少年 第一章

2008-09-05 | 日本映画(な行)
★★★ 2008年/日本 監督/堤幸彦
<TOHOシネマズ梅田にて観賞>
「夏休みの子供向け怪獣映画みたいだ」


ファンのひいき目ではなく、正直これ「トヨエツが出てなかったらどうなっていたんだろう!?」という印象です。終盤彼が出てきてから、一気にスクリーンが締まります。見た目も物語も。あのですね、堤幸彦監督の作品をこれまで見ていないわけではありません。しかし、メリハリがないし、子役を魅力的に見せていないし、盛り上げどころがきちんと盛り上がらないし。後半は子供向けのガメラ映画みたいです。確かに大阪万博などのノスタルジーな感じは、惹かれるんですけども。ラストのロボットは、岡本太郎財団の許可を取ったのか!?

話があまりにも荒唐無稽で、これは原作によるところなんでしょうが、これを映画にするとなった時にどういうものに仕上げたかったのか、完成図を描けないまま、取りかかってしまった。そんな感じに見えます。何と言っても役者陣の使い方が中途半端です。もちろん、第一章であるから紹介のみに止まってしまう部分はあるでしょうが、唐沢寿明以外の、香川照之やら佐々木蔵之介やら、ほとんど演技させてもらっていません。生瀬も小日向さんも宮迫も、めっちゃちょい役。何と、もったいない!もったいないし、この豪華メンバーを魅力的に見せられていないってのは、監督の力不足としか思えません。ユキジなんてキャラクターも、もっともっとはじけた女の子にできなかったですかね。

こんなことメディアで大声で言えないんでしょうけど、主演の唐沢寿明の魅力不足も大きいです。ロック魂のあるリーダーとは、とても見えない。ギターをかついでも、全然様になっていません。トヨエツがいかにスクリーンで映えるかをしみじみ実感&再確認しました。 そして、トヨエツ以外にその存在感でびしっとスクリーンを引き締める俳優がひとり出てきます。誰だと思います?洞口依子です。夕暮れのアパートにぽつんと座る彼女が出てきたカットで突然黒沢映画になりました。

T-REXのテーマソングね、私大好きなんですよ。グラムロックは好きなんです。このイントロのジャカジャーン♪と言うくだりが、全然映画のカタルシスとなってないんですね。これが致命的です。 そして、このシリーズに60億円の投資と聞いて、これまた絶句。

アヒルと鴨のコインロッカー

2008-09-04 | 日本映画(あ行)
★★★ 2006年/日本 監督/中村義洋
「期待しすぎて、失敗」



「神様を閉じこめるのさ」とか「悲劇は裏口から起きる」に代表されるような、カッコつけたセリフがちっともカッコよく決まっていません。むしろ、こっぱずかしくて、椅子から立ち上がりたいほど。お尻がこそばゆいです。伊坂作品は「ゴールデンスランバー」「死神の精度」「重力ピエロ」と読みました。重大な物事や事件を敢えてスカして見せるとでもいいましょうか。つらく悲しいことをサラリと淡々と描く。その行間に流れるもの悲しげなムードこそ、伊坂作品の特徴なのですが、この作品はそのムード作りに失敗しています。

冒頭のバグダッド・カフェばりの本屋の看板。このカットがあまりに思わせぶりで、後は下降していくのみです。何せネタふりの前半1時間がたるい。隣の隣のブータン人がブータン人ではないことくらい、すぐにわかってしまうので、早く教えてくれよとイライラしました。後半、解き明かされる真相も、なるほど!と膝を打つようなものではなく、こんなに待たせてそれかよ…と拍子抜け。原作が悪いのではなく、見せ方が下手なんだろうと思います。まさにボブ・ディランの「風に吹かれて」の雰囲気を全編に漂わせようとしたのでしょうが、あまりにもテンポが悪くてだれてしまいました。

後半部のキモは何と言っても、ブータン人の悲哀が出せるかどうか。これにのみ、かかっています。しかし、残念ながら、ブータン人を演じる役者の器量がまだまだ足りなかったようです。例えば、オダギリジョーなら、このもの悲しさはもっと出たように思いますね。例のセリフも、もっと決まってたでしょう。でも、役者の責任というより、もっと監督が彼の心情に寄り添った演出をしないとダメでしょう。すごく悲しい真相なのに、ちっとも悲しく思えない。その時点で、ダメだあ~と思ってしまったのでした。期待していたので、余計に残念。

タロットカード殺人事件

2008-09-03 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2006年/アメリカ 監督/ウディ・アレン

「ウディ、ますます絶好調」




なんとまあ、肩の力の抜けた軽やかな作品でしょう。これは、まるで老練なJAZZミュージシャンのアドリブ演奏のよう。これまで、何度も何度も演奏してきたからこそ出せる味わい、隙のなさ。ウディ監督、ロンドンに拠点を変えてから、ますますノリにのっていませんか。実に楽しい95分でした。

前作はセクシー路線だったスカーレット・ヨハンソンが本作ではキュート娘に変身。スカーレットのプロモーション・ビデオだと感じる方がいたら、それこそこの映画のすばらしさの一つかも知れません。といいますのも、このサンドラは記者志望の割にはおマヌケですし、すぐにオトコに引っかかるし、本当はどうしようもないキャラ。でも、非常に魅力的に見えるのは、ひとえに彼女の演技力とウディの演出のおかげでしょう。ビン底丸めがねをかけ、口を開けて歯科矯正の器具をパカパカと動かす彼女のかわいさと言ったら!こんな仕草が愛らしいなんて、ちょっと他の女優では考えられません。次作では、どんな女性を演じるのか、今から楽しみ。(って、次も出るって勝手に決めつけていますが)

背景は殺人事件ですけど、んなこと何の関係もないですね。まあ、本当にどーってことないお話で、素人探偵のドタバタ喜劇です。だって、現場になんでタロットカードが置いてあるかなんて、真相はちっとも明らかにされませんもの。でも、テンポが良くて、ユーモラスで、みんなおしゃべりで、何もかもがいつものウディ流。このワンパターンノリは、まるで吉本新喜劇のようです。ラストのドッチラケなんて、吉本ばりに椅子から転げ落ちそうになりました。それでも、こんなに小粋なムードが出せるんですもんね、流石です。どこまでも我が道を行くウディ・アレンに感服致しました。ああ、楽しかった。

デトロイト・メタル・シティ

2008-09-02 | 日本映画(た行)
★★★★★ 2008年/日本 監督/李闘士男
<TOHOシネマズ梅田にて観賞>
「クラウザーさん、最高っす!」


いやあ、すごかった。面白かった。
松山ケンイチ、サイコー!。
彼のカメレオンぶりにとにかく降参しましたです。

最近流行の仮の姿に悩むヒーローのような話、なんて言う映画評を読んだのですけど、全然違うでしょう。これ、「仕事論」でしょ?と私はひどく納得したのですよ。自分のやりたい事じゃない。でも自分にしかできないことなら、やるべきだよ!っていうね。なんか、私を含めてこういう状況の人「この仕事は本当にしたかった仕事じゃない…」なんて、悩んでる人多いと思うんです。そんな人たちに勇気を与える映画じゃないでしょうか。

脚本としては、前半部ちょっと根岸くんの語りが多くて、くどいんです。また、やる気をなくして田舎に戻る、なんてのもある程度想像できちゃいます。それでも、ラストの対決に向けて、盛り上がる、盛り上がる。現在継続中の漫画をうまく2時間にまとめたなと思います。また、きちんと「絵になるカット」が多いんですね。それが、たかがお馬鹿映画とはあなどれないところ。クラウザーさんが後輩とトイレでリズムを刻むシーンとか、ヒールの高いロンドンブーツ履いて激走するシーンとか。やってることはマヌケですけど、しっかり構図を捉えたきれいなショットを作っています。それにしても、あのブーツ履いて全力疾走はきつかっただろうなあ。

「音楽映画」としてきちんと成立しているところも、とても評価できます。おしゃれポップス系もデスメタル系も楽曲がレベル高いですね、カジヒデキだから当然ですが。ジーン・シモンズは、良く出てくれたなあ。正直ね、わたしゃヘビメタ嫌いなんですよ、暑苦しくて。でも、ラストのライブは興奮しました。つまり、イロモノ系だからと逃げたり、流したりせずに、非常にしっかりとまじめに作り込んでいるところがとても良いのです。

そして、松山ケンイチくん。もちろん、「デスノ」で彼のカメレオンぶりは分かっていたつもりですが、本当に参りました。クラウザーさんの時の歌い方なんて、どれくらい練習したんですかねえ。だんだん、クラウザーさんがかっこよく見えてきたからビックリ!この演技を見せられて、私の中では加瀬亮くんを超えてしまったかも。クラウザーさんのシーンではカメラが回る前に観客を入れた状態でアドリブで毒々しいセリフをかましてたって言うじゃないですか。いやあ、本当に凄い。根岸くんもクラウザーさんも全く好みではないけど(笑)、これを演じた松山ケンイチと言う俳優に惚れてしまいそうだ。追っかけの大倉孝二のツッコミも毎回爆笑。ほんと、腹抱えて笑わせてもらいました。

歩いても、歩いても

2008-09-01 | 日本映画(あ行)
★★★★★ 2008年/日本 監督/是枝裕和
<梅田ガーデンシネマにて観賞>
「さりげないのに、心に染み渡る是枝演出」



是枝監督のきめ細やかな演出と登場人物たちへの優しい眼差しが感じられる珠玉作。すばらしかったです。物語を動かすものとして、数年前に亡くなった長男を取り巻く確執というのがあるのですが、むしろ私は是枝演出の素晴らしさ、巧みさに引き込まれて仕方がなかったです。 誰もいない廊下で母と娘のたわいもないおしゃべりが反響している。そんなカットに全ての人が自分の里帰りを思い起こしたことでしょう。

人物描写があまりにもリアルで、まるでこの家族を昔から知っているような錯覚に陥ります。また、それぞれの登場人物のちょっとした仕草や会話の端々にその人らしさが如実に表れています。例えば、長女の夫は「この家の麦茶はひときわうまい」とおべんちゃらを言う調子のいい性格。その時冷蔵庫の扉がずっと開けっ放しなんです。気になって仕方ありません。でも、それは彼のおおざっぱな性格を表しているんだと思います。このように全てのシーンに、人物たちの性格を裏付ける演出が成されていて、見事のひと言です。是枝監督の人間観察力に感服しました。毒のあるセリフは弟子の西川美和監督を思い起こさせるのですが、もしかして彼女の影響が逆に是枝監督にも出ているのかと思ったりもします。

また「ああ、実家に帰るとこんな感じだよな~」と思わず唸ってしまうシーンばかりです。実家の玄関先で遊ぶ孫たちは大人モノの「つっかけ」を履いていたり、息子家族に新しい歯ブラシを用意していたり。これらの描写があまりにもリアルで、うちも全くそうだ!と一シーン一シーン、思わず頷いてしまうものばかり。是枝監督が凄いのは、この細やかな演出があざとく感じられない、ということ。この辺は、ドキュメンタリータッチが巧い是枝監督ならではです。「誰も知らない」などでは、ドキュメンタリータッチが嫌味に見えたりしましたが、本作では皆無。実に自然です。

そして、俳優陣がみんな素晴らしいです。やはり、一番凄いのは樹木希林でしょう。この人は、化け物ですね。毎回役が乗りうつってます。私の記憶では「東京タワー」を受けるまでしばらく映画界から遠ざかっていたはずだと思うのですが、一体どうなってしまったんでしょう。蝶々を追いかけるシーン、見てはいけないものを見たようで背筋がぞくぞくとして、本当に怖かった。

それにしても、家族を描いた作品って、なんでこうも面白いのでしょうか。家族だからこそ、言いたいことを言う。家族だからこそ、言えない。そんなみんなの思いがすれ違ったり、くっついたりする様に釘付けの2時間。様々なところで笑いのエッセンスが散りばめられているところも本当にすばらしい。これまでの是枝作品の集大成と言ってよいのではないでしょうか。このところ、山下監督や塩田監督などの若手監督に気を取られていましたが、これで是枝監督の株が一気に急上昇です。