うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

ぼやきの日々の年代でしょうか、

2014年05月17日 06時26分16秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
しょうもない話題をネタにして、このごろの心境を書く。
 連休も明けて晴れや少雨と寒暑の温度差のある天気がつづく。暦の上では、5月5日の立夏は早も過ぎて、5月21日の小満が近づく。今年は寒の戻りは少なく、なんだか走り梅雨の気配もする。ここ関東の地での今年の天候の推移は、街の オオムラサキツツジ※1、サツキツツジ※2 などの植物の咲き具合を見ると、どうやら、やはり最低でも、平年よりも一週間は遅れている。わたしの60何年の経験で、そう思う。
 ≪オオムラサキツツジ※1・・・クルメツツジの1園芸品種「大紫」。サツキツツジ※2・・・原種サツキツツジの中の1園芸品種「大盃」。≫
 TVでは気象予報士が鹿爪らしく天気予報をたてるが、頭のみの気象分析よりも、日常に見る身近な植物の方が人間様よりも正直である。
 新しい業務に着こうといまだ落ち着けないでいるのだが、老人特有の病気の為に毎日の服薬と、来月に決まった目の白内障手術にすっきりしない日々が続いている。コンビニへ煙草を買いに行くには往復40分は歩いたり、庭に出ての作業を時たまにするが、疲れやすくて多少は体力が落ちている気がする。

 まあ、わたし自身は若いころからなにごとも初めは物事を全て呑みこみ信じる方であるが、そのくせ、いつも裏切られる。その繰り返しで生きてきた。要領の良さは唾棄してきた。無論、あまり賢いとは言えないが、これがわたし自身の性格であるなら自他共に耐えたりお願いするしかない境遇と言える。しかし、老年特有の世間に対する猜疑心も持ち合わせていることを自認するにしても、立場のみの仕事、くだらない学歴や他からの受け売りの知識はまやかしであり、自分自身のみの感じ方や考え方を持っていないと、どうにも意味がないようである。老いてくれば、個人の中で社会的なたてまえや見栄よりも中身に直面し、内面的な意義や価値が大事になってくる。

 わたしの年齢では半ば以上は仕事的に現役をリタイアしていて、身近にも家庭内生活を過ごす人が多くいて、ああ嫌だなあ・・・・・と思う。何のために生きてきたのか!?、定年のある仕事以外にやりたいことはなかったのか?、などと他人ごとのように思う。
 だが、こんな感じ方を医学的にレッテルを貼れば、老人性鬱病と言うのであるらしい。
 ちょっと、理屈っぽくなったが、わたしもなにかいいことはないかな?、とたまには思うが、僥倖はいつも突然くる。(おっと、不幸もだが・・・。)
 おしまい。
           
コメント
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