ここ数年、あちこちで耳にするのが、認知症を防ぐ方法の一つが、家族以外の人と会話することだということ。
会話をするということは、脳をフル回転させる作業なんだとか。それが良い刺激となると言うわけです。
四国に戻って来て以来、家族以外との雑談をする機会が激減と言うか、消滅。
友人と呼べる人もいませんし、ご近所づきあいもほぼ皆無。
これではこの先、認知症への道まっしぐらかぁっ・・・と、不安を覚える今日この頃です。
以前から、アルフィーは息子の考えてることがさっぱり分からないと何度も愚痴ります。
自分とは全く性格が違うから・・・と、自分の時はこうしたのに・・・とか。
要するに、もっと息子が腹を割って話してくれたらよいのにと言う事でまとめられる愚痴です。
私自身、そう考えることも多くありました。
しかし、ふと気づいたのです。
息子にそう言う機会を与えて来なかったせいでは・・・と。
親子で雑談をする機会が殆ど無かったせいではと。
子供が幼い頃は、育児と言う名の下に、話をする機会も多かったと思います。でもそれは、親としての上から目線と言うか、指導という性格の会話でした。
特に、私の場合はどうしても同じ目線で話す事が出来ませんでした。それはひとえに私自身の性格ゆえ。
やっと息子が大学生になり、目線を同じ高さにして会話ができるようになった頃、私は介護の毎日。
長期休暇で帰省してきても、息子と雑談をする時間も余裕もありませんでした。
そう言うと、
「俺だってそんなたくさんの会話を両親としたことは無い。」
と、アルフィーは抗議しました。
しかし、特に何かについて話し合うのではなく、ごろんと横になって取り留めのない話をする夏休み、冬休みは持てた筈。
友達の事、大学の事、サークルの事・・・等々。
でも、息子にはそんな時間が無かったのです。
ゆっくりと座ってお茶を飲みながら・・・と言う時間は一切持てませんでした。
慌ただしく介護に走り回る私に、何でもない話をしようと言う気にはなれなかったでしょう。食事すら、落ち着いて取れなかったわけですから。
その頃、アルフィーは千葉、私は愛媛と言う別居生活を送っていました。
だから、息子が帰省するときに、アルフィーも同じように数日間帰省するだけ。
とても雑談など、できる筈がありません。
そんな環境では、長期間帰省する気にもならなかったでしょう。
息子は何かを親に相談するという習慣を持たずに大切な時期を過ごしてしまったのです。
いえ、それ以前に、雑談をする余裕すら与えてもらえなかったのです。
進路も就職も一切親に相談する事無く、当然、親の援助も無く、全てを自分で決めました。
ある意味、楽をさせてもらったわけです、親は。
その過程で感じた辛さや苦しみや、そして喜びも、親に話す事はありませんでした。
雑談をしながら、相手の性格や考え方を少しずつ理解していくものだと思います。
家族だから、血のつながりがある親子だからという理由で、お互いを理解し合えるとは思いません。
時間を共有し、会話を共有しながら、小さな理解を積み重ねることが、大きな理解へとつながる事だと思います。
理解と言うのは、相手を認める事だと思います。似ているところ、違うことろをどちらも認めることだと。
離れて暮らす時間の方が長くなる前に、息子と雑談が出来れば良いなと思っています。