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昨日の続きです
登山道から観音峰登山口休憩所に戻って、さらに山奥の洞川温泉方面へ向かう
山上川(みたらい渓谷)に架かる橋
観音峰登山口休憩所の中には
南朝と天川村の歴史等を美しい絵とこのような文章で説明しています
名水百選の “ ごろごろ水 ”
昭和59年(1984)に環境庁の名水百選に選ばれた
昔はここで水を汲んでいた、たぶん無料だつたと思う
そばには 役行者様 錫杖を持って腰かけておられます
現在の “ ごろごろ水 ” 採水場
この駐車場内に “ ごろごろ水 ” 採水用の蛇口が並んでる
3~4年前? に来た時は 300円だったのが 500円になっている!
『 家計の値上げ許容度が高まってる 』 から、この程度なら大丈夫なんでしょうネ 本日も繁盛していました。
さらに奥の母公堂へ向かう
母公堂の前にはでっかい石柱、 「 從是女人結界」 と刻まれている
母公堂
今から1300有余年前の白鳳年間、役行者という山岳修験者が、熊野本宮から大峯山脈を南から北の大峯山(山上ヶ岳)に向かい修行をしていました。
この修行を案じた役行者の母・白専女は、役行者の弟子・後鬼の案内で葛城山の麓、茅原から役行者が山籠りして修行している大峯山に一番近い、洞川の蛇ケ谷まで会いに来ましたが、この谷を渡ろうとすると、一匹の大蛇が行く手を阻み、どうしても渡ることが出来ませんでした。
後鬼と同じく弟子の前鬼を通じてこのことを知った役行者は、このままでは母は私を心配して命の危険な山中を何処までも心配して追っかけて来ると思い、洞川の蛇ケ谷に庵を建て母に住んでもらい、身の回りのことを後鬼に頼み、時々母を訪ねることにすれば、母も安心して留まってくれるだろうと思いつきました。早速、洞川の人たちに頼んで母の庵を建ててもらい、その庵を「母公堂」と名付けました。
また役行者は母を思う心から、母が後を追わないようにと「女人入山禁止の結界門」を建てました。これが「女人禁制」の始まりであり、一千三百有余年後現在も守り続けられています。これは「女性差別的」な解釈でなく、役行者の母を思う優しい心の現れであると考えられています。
※現在は山上ヶ岳の登山口にある女人結界門まで女性も進むことができます。
・・・ ネット/奈良寺社ガイドより
洞川温泉街
役行者が従えた「後鬼」の子孫の里とも伝えられているらしい
この写真は温泉街の端で人はほとんどいないが、中心部にはたくさんの観光客が歩いてた
黒滝村から走ってきた風景が、濃い緑の山また山が続く中だったので、この温泉街はなんだか " 異界 " へ迷い込んだような感じだった。
昨日の続きです
登山道から観音峰登山口休憩所に戻って、さらに山奥の洞川温泉方面へ向かう
山上川(みたらい渓谷)に架かる橋
観音峰登山口休憩所の中には
南朝と天川村の歴史等を美しい絵とこのような文章で説明しています
名水百選の “ ごろごろ水 ”
昭和59年(1984)に環境庁の名水百選に選ばれた
昔はここで水を汲んでいた、たぶん無料だつたと思う
そばには 役行者様 錫杖を持って腰かけておられます
現在の “ ごろごろ水 ” 採水場
この駐車場内に “ ごろごろ水 ” 採水用の蛇口が並んでる
3~4年前? に来た時は 300円だったのが 500円になっている!
『 家計の値上げ許容度が高まってる 』 から、この程度なら大丈夫なんでしょうネ 本日も繁盛していました。
さらに奥の母公堂へ向かう
母公堂の前にはでっかい石柱、 「 從是女人結界」 と刻まれている
母公堂
今から1300有余年前の白鳳年間、役行者という山岳修験者が、熊野本宮から大峯山脈を南から北の大峯山(山上ヶ岳)に向かい修行をしていました。
この修行を案じた役行者の母・白専女は、役行者の弟子・後鬼の案内で葛城山の麓、茅原から役行者が山籠りして修行している大峯山に一番近い、洞川の蛇ケ谷まで会いに来ましたが、この谷を渡ろうとすると、一匹の大蛇が行く手を阻み、どうしても渡ることが出来ませんでした。
後鬼と同じく弟子の前鬼を通じてこのことを知った役行者は、このままでは母は私を心配して命の危険な山中を何処までも心配して追っかけて来ると思い、洞川の蛇ケ谷に庵を建て母に住んでもらい、身の回りのことを後鬼に頼み、時々母を訪ねることにすれば、母も安心して留まってくれるだろうと思いつきました。早速、洞川の人たちに頼んで母の庵を建ててもらい、その庵を「母公堂」と名付けました。
また役行者は母を思う心から、母が後を追わないようにと「女人入山禁止の結界門」を建てました。これが「女人禁制」の始まりであり、一千三百有余年後現在も守り続けられています。これは「女性差別的」な解釈でなく、役行者の母を思う優しい心の現れであると考えられています。
※現在は山上ヶ岳の登山口にある女人結界門まで女性も進むことができます。
・・・ ネット/奈良寺社ガイドより
洞川温泉街
役行者が従えた「後鬼」の子孫の里とも伝えられているらしい
この写真は温泉街の端で人はほとんどいないが、中心部にはたくさんの観光客が歩いてた
黒滝村から走ってきた風景が、濃い緑の山また山が続く中だったので、この温泉街はなんだか " 異界 " へ迷い込んだような感じだった。
洞川温泉、キャンプと
よく足を運ぶ場所です。
今頃は小学生の林間学校などでも
賑わってるでしょうね。
深い緑と清流の河原でキャンプや焼肉などは楽しいでしょうね。
ただ、天川村の地元は捨てられる多量のゴミで大変困ってるそうです、心無い人たちのせいで。