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昨日=11月25日の続きです
弘川寺の西行墓から ~ 紅葉を愛でながら遊歩道の山道を登ってゆく ~ “ 紅葉の谷 ” を見下ろす所まで登ったら視界が開けて 大阪平野方面 が見渡せた、いつもはかなり霞んでるが、本日はかなりクッキリした光景だ
眼下に “ 紅葉の谷 ”
その向こうには大阪府太子町さくら坂の住宅地
その向こうは堺市方面か ?
中央ヤヤ左が明石海峡
手前右側に大阪府富田林市のPLの塔、ずっと左が明石海峡
明石海峡大橋が見えた
APS-C 300mmで撮影、これが限度です 橋脚2本が見える
橋脚2本と よ~く見れば道路部分が見える気がする、左端に淡路島の端が見えている
撮る位置をもう少し高所へ移動したら 橋脚も道路部分も解かる
後方に赤く左右に延びるのは港大橋だろう
阪神高速道路の 大阪市港区 と 大阪市住之江区をつなぐ2階建ての道路
中ほど左に見えるのは 堺市役所だろう、
右やや後方には大阪市住之江区のコスモタワー(大阪府咲州庁舎)のようだ
眼下には燃えるような “ 秋景色 ”
足元には “ 小さな秋 ”
弘川寺を後にして
大阪府南河内郡太子町山田 の 小野妹子墓 へ向かう
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。
妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、華道家元 池坊の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。・・・ 太子町のHPより
石段の右に石碑
「 道祖小野妹子墓 」
茶道家元 四十三世 池坊専啓 --- と刻まれている
紅葉はほとんどない、あざやかな黄葉が目立つ
何の石碑だろう、黄葉に飾られた立派な石碑が建っている
黄色の世界への石段 ???
イチョウの大木はまだ青々としてる
近くには美味しそうな柿が鈴なりになっている
日本2位になってしまったビルも見えている
鮮やか華やかな紅葉と、久しぶりに明石海峡大橋が撮れて、嬉しい気分で帰宅の一日でした。
昨日=11月25日の続きです
弘川寺の西行墓から ~ 紅葉を愛でながら遊歩道の山道を登ってゆく ~ “ 紅葉の谷 ” を見下ろす所まで登ったら視界が開けて 大阪平野方面 が見渡せた、いつもはかなり霞んでるが、本日はかなりクッキリした光景だ
眼下に “ 紅葉の谷 ”
その向こうには大阪府太子町さくら坂の住宅地
その向こうは堺市方面か ?
中央ヤヤ左が明石海峡
手前右側に大阪府富田林市のPLの塔、ずっと左が明石海峡
明石海峡大橋が見えた
APS-C 300mmで撮影、これが限度です 橋脚2本が見える
橋脚2本と よ~く見れば道路部分が見える気がする、左端に淡路島の端が見えている
撮る位置をもう少し高所へ移動したら 橋脚も道路部分も解かる
後方に赤く左右に延びるのは港大橋だろう
阪神高速道路の 大阪市港区 と 大阪市住之江区をつなぐ2階建ての道路
中ほど左に見えるのは 堺市役所だろう、
右やや後方には大阪市住之江区のコスモタワー(大阪府咲州庁舎)のようだ
眼下には燃えるような “ 秋景色 ”
足元には “ 小さな秋 ”
弘川寺を後にして
大阪府南河内郡太子町山田 の 小野妹子墓 へ向かう
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。
妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、華道家元 池坊の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。・・・ 太子町のHPより
石段の右に石碑
「 道祖小野妹子墓 」
茶道家元 四十三世 池坊専啓 --- と刻まれている
紅葉はほとんどない、あざやかな黄葉が目立つ
何の石碑だろう、黄葉に飾られた立派な石碑が建っている
黄色の世界への石段 ???
イチョウの大木はまだ青々としてる
近くには美味しそうな柿が鈴なりになっている
日本2位になってしまったビルも見えている
鮮やか華やかな紅葉と、久しぶりに明石海峡大橋が撮れて、嬉しい気分で帰宅の一日でした。
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