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" 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ "
良寛和尚が亡くなる直前に 貞心尼の耳元でつぶやかれた言葉だそうです
良寛和尚の辞世の句だろうか?
詳しくも簡単にも知らないけれど、この句を思い出したら、なぜか吉野山へ行きたくなった。
国道169号線から吉野川に架かる吉野大橋を渡って ~ さくら警察前 を少し行けば、この道標が見える
クネクネと曲がった道を上って行けば吉野神宮
残ってる紅葉よりも足元に落ちている紅葉の方が多い感じ
広~い下千本駐車場前より、 右上に蔵王堂が見える
狭い坂道を奥千本に向けて上って行く、今の時期に吉野山へくる観光客はほとんどいない
以降3枚は
後醍醐天皇も訪れたと言われる 御幸の芝 にて
まだ紅葉を残す大木
朽ちかけている大木の足元に かなり古そうな2体の石仏様、まだ新しい綺麗な花が供えられている
下を見れば 修理中の蔵王堂が見える
以降 上の千本あたりにて
何だかフカフカした感じがするような
花矢倉展望台へ登って行く遊歩道
大きな紅葉はまだ頑張っている
絶景の展望台です
後方左から 金剛山、葛城山、その隣に二上山が小さく見えている
二上山の手前辺りに蔵王堂が見えている
もう少し大きく撮る、家並みの奥に大きな蔵王堂が見える
さらに奥へ
水分神社 ~ 高城山 ~ ~ ~ 金峯神社へ
かくれ塔
金峯神社から左の小道を下ったところにある建物は隠れ堂といって、ここは大峯修行場の一つで、この塔に入って扉を閉じると中は真っ暗になります。そこで神官の先導に従って「吉野なる深山の奥の隠れ塔、本来空のすみかなり」と唱えながら境内を巡ります。
文治元年(1185)11月、源義経は兄である源頼朝から逃れるためにこの塔へ隠れ、追っ手から逃れるために屋根を蹴破って外へ出たため「義経の隠れ塔、蹴抜け塔」とも言われるようになりました。 ・・・ 現地の案内板より抜粋
この奥に 西行庵 がある
行ってみようと思ったが、工事中で迂回路を行かなければならない、時間がかかりそうなので諦めて帰路につく
西行庵
行けなかったので昔の写真です
9年前の写真ですが、一番きれいな頃だと思います
これも9年前の高城山
華やかに咲く桜や、鮮やかな色に染まる紅葉も美しいですが、秋が過ぎて散ってゆく吉野山の景色にも " 終末の美 " のようなものを感じますね。
" 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ "
良寛和尚が亡くなる直前に 貞心尼の耳元でつぶやかれた言葉だそうです
良寛和尚の辞世の句だろうか?
詳しくも簡単にも知らないけれど、この句を思い出したら、なぜか吉野山へ行きたくなった。
国道169号線から吉野川に架かる吉野大橋を渡って ~ さくら警察前 を少し行けば、この道標が見える
クネクネと曲がった道を上って行けば吉野神宮
残ってる紅葉よりも足元に落ちている紅葉の方が多い感じ
広~い下千本駐車場前より、 右上に蔵王堂が見える
狭い坂道を奥千本に向けて上って行く、今の時期に吉野山へくる観光客はほとんどいない
以降3枚は
後醍醐天皇も訪れたと言われる 御幸の芝 にて
まだ紅葉を残す大木
朽ちかけている大木の足元に かなり古そうな2体の石仏様、まだ新しい綺麗な花が供えられている
下を見れば 修理中の蔵王堂が見える
以降 上の千本あたりにて
何だかフカフカした感じがするような
花矢倉展望台へ登って行く遊歩道
大きな紅葉はまだ頑張っている
絶景の展望台です
後方左から 金剛山、葛城山、その隣に二上山が小さく見えている
二上山の手前辺りに蔵王堂が見えている
もう少し大きく撮る、家並みの奥に大きな蔵王堂が見える
さらに奥へ
水分神社 ~ 高城山 ~ ~ ~ 金峯神社へ
かくれ塔
金峯神社から左の小道を下ったところにある建物は隠れ堂といって、ここは大峯修行場の一つで、この塔に入って扉を閉じると中は真っ暗になります。そこで神官の先導に従って「吉野なる深山の奥の隠れ塔、本来空のすみかなり」と唱えながら境内を巡ります。
文治元年(1185)11月、源義経は兄である源頼朝から逃れるためにこの塔へ隠れ、追っ手から逃れるために屋根を蹴破って外へ出たため「義経の隠れ塔、蹴抜け塔」とも言われるようになりました。 ・・・ 現地の案内板より抜粋
この奥に 西行庵 がある
行ってみようと思ったが、工事中で迂回路を行かなければならない、時間がかかりそうなので諦めて帰路につく
西行庵
行けなかったので昔の写真です
9年前の写真ですが、一番きれいな頃だと思います
これも9年前の高城山
華やかに咲く桜や、鮮やかな色に染まる紅葉も美しいですが、秋が過ぎて散ってゆく吉野山の景色にも " 終末の美 " のようなものを感じますね。
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