.
京都府木津川市加茂町大野へ行ってきました。
徳川氏の大坂城復興のために切り出したが、大阪城へ運ばれなかった石材が木津川の河原に残っており " 残念石 " と呼ばれてるそうだ!
加茂盆地の西側、大野山の東斜面には、何カ所かに斜面の岩盤から石を切り出したところが残っています。大野の勝手・春日神社下の木津川には、2~4メートルほどの花崗岩の切石がたくさん点在しています。
これらは、藤堂高虎によって切出され、徳川氏の大坂城復興に用いられた石材の一部です。大阪城へ運ばれなかった石材は、残念石と呼ばれ現在も多くが河原に点在しています。
その石を切出した大念寺の一画に少々グロテスクな容貌の地蔵石仏が安置されています。石材の豊富なところらしく、重量感のある等身大の地蔵石仏で、銘文はありませんが、室町時代の特徴を持っています。 ・・・ 木津川市の観光情報より
すぐ傍の勝手神社に車を停める
後の山が大野山らしい
真赤なナンテンが輝いている
大きな石が転がっている、これが残念石だ
切り出した形跡だろう
歩いて5分ほどの所にある大念寺へ
こんな狭い坂道を登って行く
ここにも 切り出した形跡 が残る石があった
この方が地蔵石仏なのだろうか? 高さは人の背丈ほどある
南無阿弥陀仏の石碑等と並んで建っている
本堂前にも大きな石
木々の繁る中に 突然大きな顔が現れたので ビックリした!
左に並ぶのは 昭和10~20年代の戦没者の墓碑 後方の建物が大念寺本堂
大念寺は山の斜面にあり東方面に視界が広がる
赤い物は 木津川に注ぐ支流の水門のようだ
JR関西本線 加茂駅前の 大きなビルが見えている
大念寺から駐車地へ戻って勝手神社へ向かう
駐車場横の建物は神社の社務所だろう
赤い鳥居を潜って ~ 30mほど歩いて ~ 130余段の石段を登ったら神社があった
社殿は 山の斜面の狭い土地に建ってるので撮れない
社殿横から撮影
木津川上空に力強い白い雲が広がっていた
京都府木津川市加茂町大野へ行ってきました。
徳川氏の大坂城復興のために切り出したが、大阪城へ運ばれなかった石材が木津川の河原に残っており " 残念石 " と呼ばれてるそうだ!
加茂盆地の西側、大野山の東斜面には、何カ所かに斜面の岩盤から石を切り出したところが残っています。大野の勝手・春日神社下の木津川には、2~4メートルほどの花崗岩の切石がたくさん点在しています。
これらは、藤堂高虎によって切出され、徳川氏の大坂城復興に用いられた石材の一部です。大阪城へ運ばれなかった石材は、残念石と呼ばれ現在も多くが河原に点在しています。
その石を切出した大念寺の一画に少々グロテスクな容貌の地蔵石仏が安置されています。石材の豊富なところらしく、重量感のある等身大の地蔵石仏で、銘文はありませんが、室町時代の特徴を持っています。 ・・・ 木津川市の観光情報より
すぐ傍の勝手神社に車を停める
後の山が大野山らしい
真赤なナンテンが輝いている
大きな石が転がっている、これが残念石だ
切り出した形跡だろう
歩いて5分ほどの所にある大念寺へ
こんな狭い坂道を登って行く
ここにも 切り出した形跡 が残る石があった
この方が地蔵石仏なのだろうか? 高さは人の背丈ほどある
南無阿弥陀仏の石碑等と並んで建っている
本堂前にも大きな石
木々の繁る中に 突然大きな顔が現れたので ビックリした!
左に並ぶのは 昭和10~20年代の戦没者の墓碑 後方の建物が大念寺本堂
大念寺は山の斜面にあり東方面に視界が広がる
赤い物は 木津川に注ぐ支流の水門のようだ
JR関西本線 加茂駅前の 大きなビルが見えている
大念寺から駐車地へ戻って勝手神社へ向かう
駐車場横の建物は神社の社務所だろう
赤い鳥居を潜って ~ 30mほど歩いて ~ 130余段の石段を登ったら神社があった
社殿は 山の斜面の狭い土地に建ってるので撮れない
社殿横から撮影
木津川上空に力強い白い雲が広がっていた
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます