『 添田唖蝉坊・知道を演歌する 』
こんなCDを買いました
唖蝉坊は明治時代のシンガーソングライター、知道はその子です
演歌は明治20年頃、自由民権の思想を広めるために壮士が街角に立って演説の歌に始まる。
壮士達は読売という、歌をうたいその歌詞を売ってメッセージを広める手をとって国家に物申した。 しかし、こうした壮士たちの売り物の反骨も逆に国威発揚のために政府に利用されてしまうという結果を招くにいたる。
これを察知したのが社会主義者堺利彦の影響を受けた唖蝉坊。彼はそこで従来の壮士たちの慷慨悲憤をぶちまける怒鳴り演歌ではなく、市井の民衆の心に沁み入る風刺、諧謔に満ちた歌を多く作り出し、為政者への強力な抗議メッセージとした。
--------- CDの説明文より抜粋
☆ 曲目は以下の通り
[ディスク 1]
1 拳骨節 2 チャクライ節 3 ストライキ節
4 ラッパ節 5 社会党ラッパ節 6 あきらめ節
7 ああわからない 8 ああ金の世 9 ゼーゼー節
10 思い草 11 むらさき節 12 奈良丸くづし
13 マックロ節 14 カマヤセヌ節 15 現代節
[ディスク 2]
1 ナッチョラン節 2 ノンキ節 3 ブラブラ節
4 ああ踏切番 5 東京節 6 つばめ節
7 虱の唄 8 復興節 9 ストトン節
10 月は無情 11 恋を知る頃嫁ぐ頃 12 生活戦線異常あり
☆ 歌詞の一部です
【 ああ金の世 】
ああ金の世や 金の世や 地獄の沙汰も 金次第
笑うも金よ 泣くも金 一も二も金 三も金
親子の中を 割くも金 夫婦の縁を 切るも金
強欲非道と 譏ろうが 我利我利亡者と 譏ろうが
痛くも痒くも あるものか 金になりさえ すればよい
人の難儀や 迷惑に 遠慮していちゃ 身がたたぬ
ああ金の世や 金の世や 願いは聖き 労働の
我に手足は ありながら 見えぬ鎖に 繋がれて
朝から晩まで 絶間なく こき使われて 疲れ果て
人生(ひと)の味よむ 暇もない これが自由の 動物か
【 あきらめ節 】
地主金持は我儘者で、役人なんぞは威張る者
こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる
お前この世に何しに来たか、税や利息を払うため
こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる
苦しかろうが又辛かろうが、義務は尽くさにゃならぬもの
権利なんぞを欲しがる事は、出来ぬ者だとあきらめる
借りたお金は催促されて、貸したお金は取れぬもの
どうせ浮世は斯様(こう)したものと、私ゃ何時でもあきらめる
どうせ此の世は弱い者いじめ、貧乏泣かせだ是非もない
こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる
あきらめなされよ、あきらめなされ、あきらめなさるるが無事である
私ゃ自由の動物だから、あきらめられぬとあきらめる
明治時代の歌ですが、何だか 今の世の中 とあまり変わらない感じです。
今日は二十四節気の “ 啓蟄 ”
春の暖かさを感じる頃で、冬籠りをしていた虫さんも出てくる頃、らしいですが、まだまだ寒いですね。