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巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

早大白井総長へ「125周年記念おめでとうございます」

2007年10月21日 11時05分35秒 | 思考空間

 本日(10月21日)の朝刊に早稲田大学125周年の記事が4面の全面で大きく掲載され、トップに白井総長の写真が有った。ふと、白井総長がかつて、つらい思いされたことを書きたくなった。ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。1973年、私が早稲田大学の大学院生として所属したのが理工学部の電気基礎研究室。そこに今も変わらない若々しさの白井克彦助教授がおられた。白井助教授はパターン認識などが専門で、ワボット(早稲田大学が開発したロボット)の音声部門も担当しておられた。

 当時の電気基礎研究室は高木教授、秋月教授、および白井助教授という構成で、その下に博士課程、修士課程の20人程度の大学院生がいた。高木教授は鉄腕アトムのお茶の水博士のような風貌で優しかった。優れた自然科学的なセンスをお持ちの人で、それは驚くようなレベルだったが、週に何回か大学院で科学史を教えておられた。同じ広島出身ということもあり好意的に見ていただいた。

 問題は秋月教授だった。彼には私もさんざん痛めつけられた。ある日、秋月教授が「電気科の事務所の前を私の悪口を言いながら通った奴がいる。それは吉井だろう」と決めつけた。私は声が大きいし、率直にものを言うが、彼の悪口を言った覚えはない。教授ともあろうものが何たること、馬鹿馬鹿しいと思い、何も言わなかった。後に、彼が好感を持ちかわいがっていた先輩が言ったことを先輩自身が私に告白した。世の中はそんなものだ。しかし、それをきっかけに、溝ができ、秋月教授からあからさまな攻撃を受けることになり、卒業後も続いた。博士課程にいた別の先輩は、彼に一言逆らっただけで、博士号が取れなくなっただけでなく、山梨県出身でありながら鹿児島工専へ行かされ、先頃定年を終えた。一言逆らったが一生に関わる信じられない程の律義さであった。

 ある日、秋月教授と白井助教授が、大学院生の机が並ぶ部屋にいた。秋月教授は会議用の大きな机のところに座っていた先輩の院生に向かってこう言った。 「お前ら頑張れよ。頑張らないと白井さんみたいになってしまうぞ」 2mの距離にいた白井助教授の耳に入らないはずはないし、それを承知の上で聞こえるように言ったのだ。おそらく、当時の白井助教授は大いに傷ついただろうし、心に強く記することとなったのではないだろうか。このことに象徴されるように白井助教授は色々御苦労されていた。

 秋月教授は後に電気学会の会長に就任し、九州の分室の責任者となったが、かつての白井助教授との立場はすっかり、ひっくり返った。何しろ秋月教授は白井総長の配下だ。一時は凋落傾向にあった早稲田大学を蘇らせた白井総長の手腕は立派なものだ。誰もがその力量を認める巨大大学の総長としての地位と名声を確かなものにしたのだ。電気工学の研究者としてのまじめさ、率直さで、論理的に判断し、やるべきことをきちんとやってきた成果だと思うし、親しみを感じる。

 白井助教授は良い家のご出身だったと記憶している。お姉さんが新進気鋭の画家で、ちょうど絵が展示されていたので、白井助教授と共に数人の大学院生で見に行った。女性画家は自分を絵の中に描くのだなと思い、白井助教授に伝えると、ふーんと聞いておられた。また、テニスの経験のない私が前衛、白井助教授が後衛で一度テニスもさせていただいた。私は半導体をやりたかったのに、意に反して制御理論の研究をやることになり、ミスマッチングで期待にこたえられずご迷惑をおかけしたが、若かりし頃の良き想い出となった。

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