裁判をして気付くのは、素人が裁判をすることの難しさ、裁判官の偏りである。簡易裁判までは素人でも何とかなる場合もある。それでも、相手に弁護士がつくとそうはいかない。地裁以上は完全に「裁判専門屋」の世界だ。こちらが素人であることは考量されない。というか、うまく利用されてしまう。
簡易裁判は、まともな裁判だと思ったら、大きな間違い。どのような裁判官が担当するか、当たり外れが大きいと言われる。裁判所書記官の経験者などが簡裁の裁判官になるらしい。まともな裁判をしようと思ったら、地裁になるが、お金の面でハードルが高い。スタートするだけで30万円以上、最終的にざっと100万円ぐらいはかかると見た方が良い。
裁判の問題は、その大きな偏りである。例えば、相手が政府関係、政府の許認可に関連する企業が相手だと、まず闘う前から負けが決まっていると言っても良い。そうでなくても、資金、人材、情報、経験などで圧倒的なハンディキャップが有る上に、裁判官が絶対的なハードルとなる。
OCNのプロバイダー契約で月額が5,000円程度なのに、ある日10万円以上を請求され(最終的には20万円以上)、驚き、明細書を請求したが断られ、内容が分からないのに支払えないと伝えていたら裁判になった。法律相談では、冒頭であなたの負けと言われた。NTT関連企業では弁護士が束になって闘わないと無理とのこと。OCN側には多くの問題があるにも拘らず簡裁では完敗。控訴し、簡裁の矛盾を指摘、先方の弁護士の主張を否定し、先方から有効な反論も出なくなったが、何と控訴棄却された。
地裁の判決は信じられないぐらい雑で、偏りが有った。例えば、こちらの重要な主張は取り上げられない、こちらの証拠には全く触れない。OCNの主張は無条件で正しく、証拠は検証もなしに採用される。OCN側が主張してもいないことを裁判官が主張する。OCNと裁判官を相手に戦っている構図だ。それで完敗。何と言うことだ。
OCN(NTT関連会社)は裁判で勝てることが保証されているから、顧客の迷惑などお構いなく、何の躊躇もなく、裁判にかける。しかも、完全に勝てるわけだから、裁判費用、弁護士費用も請求できる。恐怖のNTTだ。
本来、裁判は民主主義と正義を守る最後の砦のはずだ。ところが、裁判の偏りで、民主主義は踏みにじられ、正義は消滅する。かつて、軍部が暴走して第二次世界大戦となり、日本では約300万人が亡くなり、国土は焦土と化したが、その最後の砦として裁判が公正なジャッジをしなかったことが挙げられる。相手が軍隊でやむを得なかった点はある。しかし、現在は自由と民主主義が保証されている。ところが、1980年代後半、裁判は、銀行とやくざが結託した経済の暴走(バブル)を止めることができなかった。銀行は当時、大蔵省の徹底した管理下にあった。極論すれば、裁判が二つの国家的な暴走を許したのだ。
私は、来年からの裁判員制度では、刑事ではなく、民事からスタートすることを強く主張してきた。死刑にかかわるジャッジを一般国民に求めるのは酷というものだ。それより、民事の世界は我々の生活や仕事で近く、なじみが有る。何故、異常な商習慣やビジネスが横行するのか。その原因に、裁判に関する巨大企業などの有利さと、裁判の偏りが有る。
何故、民事からやらないのか?アメリカの圧力との説もあるが、事実は官僚・代議士・大企業トップの既得権の維持だろう。また、衆議院選挙と同時に実施される最高裁判事の国民審査では、×ではなく、○か×の記入とすることを強く主張したい。現在の×記入方式では問題ある判事も含めて自動的に承認されてしまう。過去の実績を公表し、国民は偏りのある判事を除外すべきだ。