現役の教師と仰る方から体罰は必要ではないかとの趣旨で意見が来ていました。家庭学習をしてくれない生徒に対して、口頭で注意するだけでは効果がないとのこと。文面に悩みが滲んでいます。
校長や教頭から成績に関して目標設定があり、尻を叩かれているんですかね。あるいは何とかクラスの成績を向上させたいとの真面目な思いでしょうか。
結論として申し上げれば、教育に体罰は必要ないでしょう。確かに、体罰で強制的に勉強した生徒がいて、後に感謝されることがあるかもしれません。今時はそういう例が一般的とは思えません。
私が出向して製造業を立ち上げていた時のこと、部下の課長から「新入社員が今まで親にも怒られたことがないのに何であんなのに叱られなければならんのかと言っています」との報告がありました。今はそんな時代です。
もし、教師と生徒の間で信頼関係(特に生徒側が体罰を受けることを当然のことと受け入れている)が無ければ、体罰は生徒に大きな精神的ダメージを与えます。生徒に腹が立つのはごもっともだが、そんな時は、何故生徒が家庭学習をしないのか根本的なことを考えるべきでしょう。
生徒によって理由は様々だが、面白いと思ったり魅力を感じれば、言わなくても自主的に勉強してくれる。有効な手は、特に出来の悪い生徒数人に来て貰い、叱らず意見をじっくり聞いてみることじゃないかな。
教師が生徒に一方的に教えるんだとの考えは捨てたほうがよい。例え出来の悪い生徒であれ、接していると、人間という生き物やその精神状態など教師が教わることは多い。授業とは教師も謙虚に勉強する場所でもあるのだ。
生徒を理解してやり、課題をゆっくりひも解いて、少しづつ解決して行く。教師と生徒が会話するだけでも生徒にとって大きなプラスになる。牛を水飲み場に連れて行く事はできるが、水を飲むかどうかは牛の意思。北風と太陽の話もある。
焦らない。手っ取り早く、家庭学習させようとすると、論理が飛躍して体罰になる。
先生方も昔と今では様変わりしている。先生が成績で選ばれるようになったため、勉強漬けで純粋培養されたようなタイプが多くなった。世の中を広く捉えることができないし、喧嘩したり野原を駆け回ったりした経験がない。そこで、たくさんのポケットの中から解決策を見つけることができない。知識や経験のないことに対応できない。自分の範疇にない相手を理解できない。
若い先生方に参考になるかもしれない話を一つ。数十年ぶりに広島に帰り、同窓会に出席したところ、親しい友人でもあったが全学トップで入学したA氏は消息不明、悪ガキだったB氏は何と広島でも有名な貸衣装店を立ち上げ羽振りが良かった。社長が偉いかどうかは別にして、人間の価値は決して成績だけで決まるわけではない。
この私も高校授業では後方に席を取り、漢文なんかは教科書を立てて寝ていた。気が付くと授業が終わり、ほとんどの者が出て行くところ。物理の授業では仲間とともに立たされた。しかし、ある時、これではいかんと猛勉強を始めた。大学院は多分トップで合格した。
追記:先生方に厳しいことを書いたかもしれない。弁護するなら、先生方は大変な時代になったと思う。一つは全体に学歴水準が上がり教師の相対的な地位が低下、昔の教師に対するような尊敬が失われている。
もっと大変なのは、中央(文部科学省)にがちがちに管理されていることだろう。大学の教授も多く見てきたが、とにかく報告書作成や会議で忙しすぎる。また確かに化け物のような親(モンスターペアレント)が増えている状況もある。(文部科学省とはトラブル解決で連絡をとったことがあり、どうしようもない組織であることはよくわかる)
確かに先生は大変なのだけど、友人の校長(以前)もこぼしていましたが、どこかで時間をとってお茶でも飲みながら問題児たちと話をするのも良いですよ。同じ高さで同じ平面で接することが大切。人間同士だから通じるところはある。父兄会でも率直な悩みを語ったらよい。心が通わないと何をやってもダメだろうね。
私は高3の時、講堂で校長の話を聞きながら小さな紙をちぎって帽子の上にのせていたら、ある教師が大騒ぎし、まるで犯罪者のように皆が見ている前に引っ張り出された。わけが分からない。悔しくて担任の部屋で不覚にも涙を流してしまった。その時、担任がなだめるようにコーヒーを入れてくれたことを想い出す。