進化の世界では歴史的にラマルク説を否定することが、最も大きな流れで、しかも進化学者はこぞってラマルクを嘲笑してきた。だからラマルクほど不当な評価を受けてきた科学者はいない。
ラマルク説は教科書で習ったと思うけど、生物が一生の中でに獲得した形質(形状や質)が遺伝するというものだ。何故、ダーウィン支持派が熱心に執拗にラマルク説を否定るのかと言うと、僕の考えだが、直感的な考えにラマルク説が近いからではないか。
ただ、僕はラマルク説を支持してきた。全部ではないが、どう考えても否定できない現実があるからだ。あの「戦争と平和」の中にも、農民の手ががっしりして指が幅広いいのを指摘する場面が有った。
むしろ、ダーウィン説の方が、外部的要因であり、説と言うより自然現象に思えた。淘汰と言う面では、全否定はできないが、突然変異だけでは進化の駆動力にはならない。突然変異と淘汰はいずれも破壊を起こす自然現象と考える方がより現実に近い。
僕の考えは斬新だった。細胞の中に生化学的なコンピュータとソフトウェアが有り、そのソフトウェアの中に、等価的に評価システムが形成されているとするものだった。これを考えたのが21世紀初頭で、遺伝子解明が全ての謎を解くと最大に盛り上がっていた時だ。
当時は、全くあほバカの部類に見られたことだろう。幸い、発表したのは電気学会だから、こちらも気楽だった。空想だけで進めていたのを文献も読みはじめ、現実的な仮説を付加するようになり、そして様々な獲得情報やノウハウがジャンクDNAに記録されているとするなどの仮説を立てるようになった。
世界の学者ががちがちのダーウィン説の狭い世界にいたおかげで、僕は自由に新たな仮説を考え、今年は新たな8つの進化説を発表したが、実は、これまでの発表原稿の中に、仮説に相当する内容が山ほど含まれていることに気付いた。
来年はこれらもどっさり仮説として発表する手もあるかと考えたり。ま、新たな世界を切り開くのは楽しい。