ラストサムライはなかなか面白かった。このような映画がアメリカで制作されることが不思議だが、100円のレンタルビデオでアメリカ映画をさんざん見てきた印象で述べれば、アメリカの映画人は様々なメッセイジや主張を映画に込めている。ラストサムライとは、それ以降、侍は存在しないという指摘であり、また日本人よサムライ精神を取り戻せとも言っているのだ。ま、それはともかく私はラストサムライは三島由紀夫であったと思う。
サムライとは何か、それはいつでも潔く腹を切ることができる男のことだ。三島由紀夫が自衛隊員を集めて決起せよと語った内容は私には理解できないが、三島由紀夫の切腹は立派だった。何のためらいも無く、真一文字に腹が切り裂かれていたという。腕力も大変なものだが、それ以上にこの精神力はただものではない。日頃鍛え上げてきた肉体と精神力が究極の目的であり美学である切腹を実現することになったのであろう。新撰組の近藤勇は農民出身であったが、最後は見事に腹を切った。近藤勇も立派な侍だったのだ。
石原慎太郎は三島由紀夫が肉体を鍛錬しているのを見て、「私の身体はそんな貧弱ではない」というような発言をしたらしい。背丈では確かに石原慎太郎のほうが大きいが内容はまるで異なるだろう。石原慎太郎はかつて週刊誌に、デートで約束した場所に行かず、遠くから待ちぼうけを食わせた女性を眺めているのが面白いと書いていた。なんとも女々しい歪んだ性格の持ち主である。日頃勇ましい発言をして見せるのは多分自分の弱さや女々しさを隠し、別のかっこいい姿を演じようとしているのだろう。
かつては日本に侍が存在し、武士道精神も受け継がれてきたが、残念ながら今やそれは完全に過去のものだ。日本は滅茶苦茶になってきた。権力者は平気で嘘をつき、最後にはそれがばれてしまう。節操の無い何でも有りがあちこちで見られる世界が日本の現状だ。日本がおかしくなったのは特に急速な経済成長の時期を経てからであるが、そもそも第二次世界大戦のスタートである真珠湾攻撃からして全く侍の国ではなくなっていたなと思う。日本がアメリカに宣戦布告したのは真珠湾攻撃で勝利を収めた後のことである。アメリカは日本軍の動きをキャッチしていてルーズベルト大統領は上手に利用したとの説が日本では語られている。仮にそれが事実であったとしても何の言い訳にもならない。まともに考えれば、真珠湾での奇襲攻撃を成功させるために、宣戦布告を遅らせたことは間違いない。
アメリカが広島と長崎に原爆を投下したことは、真珠湾攻撃の奇襲作戦より10倍以上問題があると思うが、それはそれとして、日本が卑怯な手を使ったことは、同じ民族として深く恥じなければならない。かつての武士は決してそのような卑怯なことはしなかっただろう。アメリカは先ごろもパールハーバーという映画を制作し、日本でも多くの人が観た。今後も作り続けられる。映画は娯楽だが,別の側面も持っている。これは、日本に油断するな、日本を許してはならないとするメッセイジだ。何故、アメリカが世界の工場を日本から中国に移したか。クリントン大統領が中国に何度も出かけ、中国人との交流を深めたか、良く考えた方がよい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます