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巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

教育は未来の夢

2007年01月14日 19時58分43秒 | 学問

 このたび安倍坊ちゃんの主導で新しい基本方針が施行することになった。これによって、行過ぎた詰め込み教育の是正のために登場したゆとり教育の方針がまた是正されることになる。何故このようなどたばたが繰り返されるのか?実は教育の基本的なことが文部科学省や政府首脳に理解されていないからだ。

 教育は未来そのものである。だから、日本の未来を語る時にその教育は重要な要素である。しかし、残念ながら日本の教育が本来有るべき条件を満たしていないために日本の未来が見えてこない。日本の教育は幾たびかの変遷を経ながらも、知識中心の根幹そのものは変っていない。この原型は中国の宦官の試験制度である。

 日本は高い教育の普及率と学力が一因となって戦後の大きな経済成長を実現した。何故か?それは欧米とりわけアメリカの優れた情報やノウハウを吸収する上で、知識型の能力が役に立ったからだ。キャッチアップは日本人が歴史的に培ってきた優れたスキルである。戦後の復興と、日本の教育制度がぴったりマッチした。ところが、冷戦終了と共に発展の方程式は大きく変った。また、インターネットの普及で常時、大量の知識を詰め込んでおく必要も無くなった。

 実は、教育を考える前に、本来は日本が目指すべきビジョンを明確にし、国民の間でも共有なければならない。このビジョンを実現するために教育がどうあるべきかが議論されなければならない。ところが今回の基本方針を立案する経緯ではビジョンが示されておらず、有るべき日本の未来も語られていない。つまり、方向さえも明確にされない中で、その骨格形成であり方法論たる教育方針が立てられているのである。勿論、目標には関わらず人間として必要な教育があることは言うまでも無いが。

 現在の日本の多くを霞ヶ関の官僚が支配管理し、あの小泉首相でさえ官僚を尊重せざるを得ず、基本的な改革は殆ど果たしえなかった。私は長い間、知識型エリートや官僚を眺めて来た結果気が付いたことは、彼らは確かに頭が良く優秀でありずば抜けているがそれはあくまで教科書や前例が存在する範囲に留まることである。彼らは新しい問題、難しい問題が生じると、先送り、棚上げすることを自ら認めている。隠蔽も大いになされている事だろう。誰もが認めるスーパーエリートが霞ヶ関の官僚だが、冷戦後の世界変化に対応できていない。それが1990年代以降の日本の実態だ。知識集団は無能でミスリード集団になっていることを認識しなければならない。

 ハーマンカーン博士の著書[21世紀は日本の世紀]が出版された1967年だったか、本屋に走り黒っぽい表紙の本を購入、興奮を抑えられずに走り読みした。そしてその時、日本が経済面でトップになるのならリーダーシップが必要であり、日本教育に取り入れられなければならないと思ったが、40年経過した今もテーマとして語られることさえない。実は、日本型の既得権連鎖構造は従属というチェーンで縦方向に繋がっており、リーダーシップと言う本来求められるべき能力は、このアンフェアーな権利構造を脅かす邪魔な存在でしかない。

 これからの日本の教育はどうあるべきなのだろうか、まず前述したように優れたビジョンが示され、国民の間に共有されなければならない。次に未来ビジョンを実現する教育のありか方が求められる。現在、日本のおかれた状況から判断すると、日本が世界の発展に指導的な立場を取りつつ自国の発展を図らなければならないから、新たな発展モデルを創造する思考力・判断力に加えて、世界をリードするためのリーダーシップが必要だろう。知識も重要だがそれ以上に情報の収集方法の会得、論理組立、課題を解決する頭の訓練、体力・タフな精神力が求められる。

 知識型から論理型へのシフトに加えて、見直さなければならないのは事務屋優先主義だ。官僚、地方公務員、電力など既得権組織では事務屋の圧倒的な優先が図られているが、彼ら知識エリートは、新しい局面、難しい局面で突破力が無い。また論理能力が無いために正しい判断が出来ない。平気で嘘もつく。フランスでは技術系のエコードポロテクニークがエリート大学となっており、日本でも理工系の人材をリーダーや経営者として訓練し育てるべきだ。

 安倍坊ちゃんの「美しい日本」でモデルとしている教育制度はイギリスらしい。確かに参考にはなるが、イギリスの状況と日本では異なる。イギリスの教育制度を完璧に日本に導入しても現在の日本の状況を打開し未来の展望を描くことは出来ない。日本の未来を実現する教育の有り方を地道に研究し、実用に即した独自のモデルを創造することこそが必要とされているのだ。

追記

 日本の教育の内容で特に注文を付けたいのは現代史、およびその考察だ。古代人や卑弥呼も重要であろうが、今の日本には殆ど関係ない。大切なのは例えばこの100年の歴史である。残念ながら、日本では明治以降の歴史が時間不足により学習されていない。これでは、現代日本形成する重要事実、骨格が見えてこない。昨日のことが分からないから今日のことも分からない。目で見ることと内容を理解することとは全く別問題だ。マクロ的に見れば日本人の意識構造は江戸時代から基本的に変化していない。第二次例えば、第二次世界大戦のことは考えたくもないことかもしれないが今日の問題がより顕著に現れたとのも考えられる。何故戦争を止められなかったかを学習していないから、バブルのような暴走が起きており、次の暴走(戦争でなけれれば良いが)が起きないという保証も無い。現代史を把握することは日本発展の基礎になる。

教育の現実的な課題として大学入試がある。日本の大学は入るのが難しく、卒業は容易と言われる。これでは、高校程度の学力より進歩が無いし、卒業生の質を保証できない。例えば、センター試験結果と論文、あるいは区部活動・社会活動などを総合して現状より2割り増し程度入学させ、予め設定したレベルに達したものを卒業させる方法を採用すれば、高校のあり方は激変する。特に、東大の入試を改革すれば、効果が大きい。東大が変らないのであれば、例えば公務員は民間の実績者を優先するとか、産業界が必要とする能力を高め保証する大学を作るなどが考えられる。

 まったく別の話だが、教育の現場の問題を指摘すれば、一流大学から小学校まで学級崩壊が起きているらしい。私は大学に3年勤務していたから、いろいろな実話を聞くことが出来た。退官された教授や現役の若いl講師からの話だ。ある大学の大学院の授業で起きたことだが、ある大学院生がいきなり隣の大学院生を殴った。何で殴ったかが分からない。これまでの常識ではとても考えられないことだが、むしろ現実に起きている異常な事態が常識になりつつある。とても放置しておける状況ではない。

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