OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

酒の歌の季節なり

2017-10-11 19:28:44 | 歌謡曲
酒季の歌 / 梶芽衣子 (ポリドール)

晩秋からの季節、いよいよ喜怒哀楽に事寄せた宴会が増えてくるのも、また日本の風物詩のひとつと思いますが、もちろん「酒」には銘柄以上に飲む人それぞれの気分が千差万別でしょう。

ですから、古今東西、「酒」にまつわる歌はヒットする確率が高いのは納得するしかなく、殊更我が国の歌謡曲には名曲名唱、そして隠れた裏名曲がどっさりある事は言わずもがな、梶芽衣子が昭和55(1980)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「酒季も歌」の、なかなか味わい深い仕上がりも忘れ難いところです。

なにしろ作詞:菅野さほ子&作曲:新井利昌が提供したのは、ほとんど正統派演歌節であり、ちょい聞きには曲タイトル共々に小林幸子っぽいフィーリングが滲むほど!?

しかし、流石は梶芽衣子!

持ち前の細くて鋭い声質を活かしたシャープなコブシ回しは独特の個性となって結実し、特に高音部における、せつなさとやるせなさが強く表現されるところなどは、何度聴いてもゾクゾクさせられるんですねぇ~~♪

これは京建輔が施した正統派にしてモダンな演歌アレンジが効いている成果と思えば、梶芽衣子の歌手としての魅力が上手い具合に引き出されたものと思います。

ちなみに当時の梶芽衣子は、このシングル曲「酒季の歌」をメインに、「酒」と関連する様々な名曲カバーを入れたLPを出していて、サイケおやじもリアルタイムで入手していたんですが、友人に懇願されて前世紀末に譲ってしまったのが運の尽き!?

今となっては、なかなか状態の良いブツとの出会いが無く、未練がつのるばかりです。

う~ん、CD化されているのかなぁ~~~。

ということで、体質的に心底酒に酔うということがないサイケおやじではありますが、酒を飲む雰囲気というのは決して嫌いではありません。

ましてや、そんなこんなの歌の魅力こそが、酔わされる癒しになっているのでした。
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アイドルシンガー芳本美代子の再評価はあるか!?

2017-10-10 17:44:29 | 歌謡曲
プライベート・レッスン / 芳本美代子 (テイチク)

アイドルのシングル曲にはオールディズ調の歌謡ポップスが切り札的に用いられる事が案外と多く、芳本美代子が昭和60(1985)年に出した本日掲載のシングル盤A面収録の「プライベート・レッスン」も、なかなか温故知新な魅力が捨て難いんじゃ~ないでしょうか。

なにしろ作詞:松本隆&作曲:井上大輔というソングライターのクレジットを確認しただけで、それは既に予測のベクトルも上向きではありますが、ハナからケツまで、井上大輔の「節」が出まくったアメリカングラフティ系のメロディラインは、なかなか後味も良く、さらに弾みまくったベースにシンセをメインとしたサウンドの新旧ゴッタ煮アレンジは、中村哲の素敵な仕事♪♪~♪

そして芳本美代子のボーカルのぶりっ子フィーリングは、これぞっ!

当時の我が国芸能界では王道の節回しであって、逆に言えば、だからこそ、突き抜けなかった実情も確かにありました。

おそらく彼女にとってはデビューから2作目の勝負曲(?)というところだったと思えば、ショートパンツやテニスルック系のミニスカ姿でツイストっぽい振付を演じつつ歌う姿には、その愛くるしい笑顔と共にムチムチした太ももが強い印象を残してしまうという罪作りも、憎めませんでしたねぇ~~♪

しかし、それでも大ヒットには届かず、矢鱈に新曲ばっかり出していたアイドルというイメージは、売れっ子なのか、それとも……▼▲●■?

今となっては、同時期に斉藤由貴とか南野陽子、中山美穂あたりが次々にブレイクしていったという厳しい現実の中での活動でしたから、アイドルシンガーとして残した楽曲の良さが、その仕上がりほどには評価されなかったような気がしています。

そうですよ、今こそ、もう一度、しっかり聴いておきたいのが、アイドル時代の芳本美代子の歌の数々というのが、本日の結論です。

ただし、そんな事を言ってしまったサイケおやじにしても、彼女のレコードはそれほど持っていなの本当のところでして、シングル曲をコンプリートで収めたとされるCDだけを、今は頼りにしている次第です。

そしてLPを集める決意をしているのでした。
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くれないホテルは何処にある

2017-10-09 20:26:00 | 歌謡曲
くれないホテル / 西田佐知子 (ポリドール)
 

ふぅぅ~~、いくら仕事関係の機密保持、そして悪企みの密談が必要だからといって、昨深夜から先ほどまで某ホテルにカンヅメ状態だったというのは、流石に疲れました、心身共に……。

そこで今夜は癒しを求めて西田佐知子が昭和44(1969)年に出した、これがオシャレな歌謡曲の決定版「くれないホテル」であります。

あぁ……、なんといってもミディアムテンポでやるせなく節回す西田佐知子のアンニュイなボーカルにはグッと惹きつけられるばかりなんですが、橋本淳が綴った歌詞のモダンな文学性と筒美京平の附したメロディの洋楽っぽさは、当時の我が国歌謡界でも屈指の先進性(?)があったと、まあ、今は思うんですが、リアルタイムではそんなこんなには深く考えるところもなく、ただただ大好きな西田佐知子が、こんな素敵な歌を演じてくれるという、その雰囲気に酔わされていたのが、その頃には純真な少年であったサイケおやじの偽りのない気持ちだったんですが、実は今現在、すっかり老年期に入っても、それは継続中というほど、西田佐知子が歌う「くれないホテル」は素敵なんですよねぇ~♪

だからというわけじゃ~ありませんが、楽曲としての「くれないホテル」は筒美京平自らがお気に入りと公言しているようですし、業界内にも、例えば山下達郎や細野晴臣、さらには坂本龍一でさえも、大好きと告白されているのですから、ちょい聴きには地味な印象の中にも、細かいコードの使い方やアレンジの奥深さが秘められているのでしょう。

そのあたりをサイケおやじには理論的な解釈は無理なんですが、だからこそ、「くれないホテル」には不思議なミステリが仕込まれていると思えば、聴くほどに素直にシビレてしまうのも、ムベなるかなと思うばかりです。

ということで、今週は相当にタフな日常が続くのは必定と、その覚悟を求められながらも、なかなか出来そうもないなぁ……。

泣言タレてもしょ~がないんですけどねぇ~~~。
 
あぁ、くれないホテルは何処にある……。
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遅かりしロッドのバラード

2017-10-08 19:40:47 | Rock
愛のハーモニー / Rod Stewart (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)

殊更洋楽の世界には「チャリティレコード」なるものが少なくありませんが、バート・バカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーが1982年に映画「ラブ・イン・ニューヨーク / Night Shift」のサントラ音源として提供した本日のお題「愛のハーモニー / That's What Friends Are For」は、まさに瓢箪から駒!?

それは1985年になって、大女優のエリザベス・テイラー等々が参加していた「米国エイズ研究財団」へのチャリティーソングとなり、ディオンヌ・ワーウィック、スティーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、グラディス・ナイトという錚々たる顔ぶれが共演レコーディングした同曲が世界的に大ヒットしたのですから、実は前述の映画「ラブ・イン・ニューヨーク / Night Shift」の挿入曲としてオリジナルを歌っていたロッド・スチュアートの気持は如何ばかりか!?

というよりも、これを千載一遇の好機として、そのロッド・スチュアートのオリジナルバージョンをシングルカットして売り出したレコード会社の商魂は、決して揶揄されるべきではないでしょう。

なにしろ問題の映画サントラ盤として1982年に発売されたLP「ナイト・シフト」には、ロッド・スチュアート以外にもアル・ジャロウ、ポインター・シスターズ、ルーファス&チャカ・カーン等々の人気者の歌が詰め込まれていましたし、バート・バカラックも収録中の6曲を手掛けていたという事で、映画本篇よりも、こちらが先行して話題になっていたのが、当時の我が国の洋楽事情だったように記憶しています。

ところが、サイケおやじには、一番のお目当てだったロッド・スチュアートが歌う件のトラックが、なんとなく地味に思えてしまい、せっかく買ったそのサントラアルバムにも、ほとんど針を落としていなかったというバチアタリ……。

ですから、1985年になって流行った前述の4大スタア共演による「愛のハーモニー / That's What Friends Are For」を最初に聴いた時、これって、どっかで聞いたことがあったよなぁ~~?

なぁ~んていうモヤモヤした気持ちにさせられたのも当然が必然であり、すると翌年になって我が国で発売されたのが、掲載のシングル盤だったんですから、一気に疑問も氷解し、あらためてロッド・スチュアートの歌の世界に瞠目されられたわけですが、しかし正直、その時になっても、本家本元であるはずのロッド・スチュアートのバージョンには、イマイチ夢中にさせられるものを感じませんでした。

もちろん、そりゃ~「瞠目」と書いたほどですから、歌の上手さや味わいの深さは流石と思います。

ただし、1982年当時のロッド・スチュアートは、ロックの王道路線と最新流行の例えばテクノ風の音作りに気をまわしたようなサウンド作りをやるという二律背反のレコードを出しつつ、ライブの現場ではハードロックとソウルミュージックの幸せな結婚みたいな強烈なステージを展開していたという、今となってはどっちつかずの全盛期だったもんですから、この「愛のハーモニー / That's What Friends Are For」は如何にも地味なAORにしか思えなかったのがリアルタイムでの真相だったように思います。

実際、その頃にはシングルカットされたという事もありませんでしたねぇ……。

それがチャリティレコードとはいえ、世界的にも大ヒットした事を契機に、あらためてロッド・スチュアートのオリジナルバージョンの存在が再発見(?)されてみれば、わざわざ「愛のハーモニー」という邦題を借りての事もありましょうが、なかなか良く出来たAORの裏傑作という感じで、これなら現在のロッド・スチュアートならば、ジャストミートの持ちネタでありましょう。

それが実際に歌われているかは知る由もありませんが、ちょいとライブステージで演じられる事を想像するだけで、羨ましい気持ちになってしまいます。

ということで、歌手にとっての楽曲との相性は、それが制作された時代との相性が絶対にあるはずで、もしかしたら1980年代初頭に思いっきりAORにアルバムを作っていたら、ロッド・スチュアートに対する評価やファンの感情も現在とは変わっていたはずと妄想するばかり!?

あくまでも独断と偏見ではありますが、1980年代後半からの浮き沈み、そして1993年に出した「アンプラグド」以降は、なんとなく落ち着いた活動に入っている事を鑑みても、過去に吹き込んだ地味な佳曲を再レコーディングしたアルバムを聴いてみたいと願っております。

もちろん、この「愛のハーモニー / That's What Friends Are For」は、お約束ということで♪
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アイドルだから聴ける歌もある

2017-10-07 20:15:53 | 歌謡曲
タイニー・メモリー / 柏原芳恵 (フィリップス)

アイドルシンガーと云えば、華やかに弾けるアップテンポのポップス歌謡というイメージがある反面、寂し気な悲しみの歌を十八番としていたひとりが柏原芳恵だったように思います。

それは幾分のケバさが滲む面立ちと男好きのする肢体が目立つ彼女の個性とは裏腹の魅力であって、またそ~した彼女なればこそ、内省的な歌が強い印象を残すでしょう。

本日掲載のシングル盤に発売されたシングル盤A面収録「タイニー・メモリー」も、そのひとつとして、彼女の持ち歌の中では決して代表的なヒット曲ではないかもしれませんが、ミディアムスローな歌謡フォークを歌うアイドルとは、こ~あるべき!?

という、なかなかしぶとい仕上がりになっているのは、作詞作曲:松山千春&編曲:石川鷹彦という、如何にもそのジャンルの第一人者から提供された素晴しい結末と書けば、贔屓の引き倒しでしょうか。

サイケおやじとしては、好きなジャンルとは言い難い楽曲であり、同時期に出されていた松山千春の自作自演バージョンなんかは聴いていられないのが正直な気持ちなんですが、それを柏原芳恵が歌ってくれれば、オーバープロデュース気味のアレンジにも違和感は覚えないのですから、いやはやなんとも、自らの腰の据わらなさには自嘲するしかありません。

しかし、それもまた、アイドルシンガーのひとつの役割だとすれば、多種多様な歌の世界を楽しむチャンスを逃すのは勿体ないですねぇ~~♪

そんなふうに自分に言い聞かせているのでした。
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我慢の人生こそは

2017-10-06 19:21:45 | 歌謡曲
仁義 / 扇ひろ子 (日本コロムビア)

昭和42(1967)年に出した「新宿ブルース」のロングセラーヒットで知られる歌手の扇ひろ子は、また同時期には映画出演も多く、特に女侠客を演じさせては藤純子や江波杏子と並び立つスタア女優でもありました。

本日掲載したのは、その代表作のひとつとして昭和44(1969)年に封切られた主演作「昇り竜やわ肌開帳(日活・葛生雅美監督)」の主題歌として吹き込まれた「仁義」がA面のシングル盤なんですが、ど~です、このジャケ写の雰囲気だけで、ビシッと筋道を立てた義理と人情の世界が伝わってくるでしょう~~~♪

もちろん作詞:丘灯至夫&作曲:和田香苗が提供したのは正統派任侠演歌の王道を行く作品で、とにかく村岡実が演ずる尺八の響きと音色、それに導かれて始まる扇ひろ子の仁義の口上、そして巻き舌も適宜用いる気持の入った節回しは、流石の味わいに満ちていますよ。

あぁ~、この程好くドスの効いたコブシと滲む特有の色気こそが、扇ひろ子だけの魅力と思うばかり♪♪~♪

それは前述した藤純子、あるいは江波杏子が出していた同系の任侠演歌とは一概に比較は出来ませんが、それでも扇ひろ子の本領は揺るぎなしでしょう。

ちなみに映画本篇は典型的な任侠作品で、失礼ながら仕上がりは平均点という印象だったんですが、しかし銀幕に扇ひろ子が登場している限り、それは強い印象が残るのです。

 一度死んだら 二度とは死なぬ
 自分ひとりが頼りじゃないか
 女一代 度胸を決めりゃ
 天に火を吐く 昇り竜

うむ、ここまでの啖呵は切れないでしょうが、最近は緑のたぬきと呼ばれている某女代表には、せめてフラフラした気持ちだけは表さないで欲しいものです。

最後になりましたが、このジャケ写にも印象的な刺青はヤクザ社会の代名詞であり、それをガマンとか称するのは、決して彫っている時の痛みだけではなく、それが自らの肉体に刻まれた後は、その絵柄を大切に維持していく節制と努力に対してのものも含まれているはずです。

それは例えば太れば色が薄くなってしまいますし、痩せれば絵柄がシワシワに歪み、健康を損ねて皮膚そのものに疾患が現れようものならば、決して元には戻らないと云われるほどですから、不摂生は大敵ですし、当然ながら喧嘩沙汰で傷を入れられるのも致命的!?

つまり本当に心身ともにガマンが大切な日常生活を一生続けなけばならないという覚悟が必要なのです。

う~ん、我慢が大切なところ、どんな人生にも必要なわけですけどねぇ……。
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楽しみも悲しみも裏表があればこそ

2017-10-05 19:29:14 | 歌謡曲
人間はひとりの方がいい / 森田公一とトップギャラン (CBSソニー)
 

どうやら今回の衆院選の帰結も見え始めたところで、本日のジャストミート曲は森田公一とトップギャランが昭和51(1976)年に出した掲載のシングル盤A面収録「人間はひとりの方がいい」であります。

もちろん、これは曲タイトルどおり、あえて分類すれば、所謂厭世ソングという事になりましょうか、とにかく阿久悠の綴った歌詞にはネクラの居直りが存分に!?

 人間はひとりの方がいい
 失う悲しみを知らなくてすむから
 人間は愛さぬ方がいい
 裏切るせつなさに泣かなくてすむから

こ~ゆ~キメが、この歌のメインテーマと思われますから、普通に生活しているリスナーにとっては、何時かあの日のやりきれなさを回想させられる誘発剤になるかもしれませんし、オンタイムで落ち込んでいる場合であれば、捨て鉢な気分をそれなりに慰めてくれるという、逆説的な愉悦の歌になりましょうか……。

それを自ら附した軟弱歌謡フォーク系のメロディに乗せて、ピアノで弾き語る森田公一の歌唱には意想外とも思える力強さがあるあたりは、流石にヒット曲作りのツボを知り抜いた職人の技を感じてしまいますし、程好い泣きのフレーズを聞かせるギターや多重デジタル系(?)のコーラスワークとか、好き嫌いは別にして、なかなか良く出来たシングル曲だと思います。

そして実際、当時はラジオや有線からも頻繁に流れていましたから、今となっては、ど~してここまでネクラな歌がヒットしたのか? と不思議に思われるお若い皆様もいらっしゃるでしょう。

サイケおやじとしては、そのご質問に対し、「時代の空気」としか答えようがないんですが、それだけ我が国の社会全体に猥雑とも思える勢いがあった反動というか、浮かれた挙句に裏切られたり、思惑どおりに事が進まなかったりする時、何故自分は世の中の流れから疎外されるのか……?

そんな、決して簡単には解決されない自己埋没的疑問に苦しんでしまうのも、また生きている証だとすれば、この「人間はひとりの方がいい」を聴いて、自己憐憫に酔ってしまうのも、悪くはないんじゃ~ないでしょうか。

ということで、本日もテレビなんかじゃ~、衆院選挙諸々の駆け引き等々が無責任な制作方針で垂れ流されておりますが、そのBGMに、森田公一が切々と歌う「人間はひとりの方がいい」を使ってくれる粋な(?)計らいって、ないんですかねぇ~~~~。

もちろん、この世に生を受けた以上、人間としては他人とも関わりがあってこそ、楽しみも増える機会が多いはずですし、逆に孤独だからの楽しみだって存分にあるのですから、やっぱり現世を楽しまなければバチアタリになるような気がします。

さて、本日の前原君は、この歌をど~、聞くのかなぁ~~~。
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とにかく今は本音を語れ!

2017-10-04 17:26:55 | Singer Song Writer
唇よ熱く君を語れ / 渡辺真知子 (CBSソニー)

一般の国民が未来に対し、それなりに多少なりともの明るさを求めて投票するのが選挙だとしたら、今回の衆院選には、それがほとんど感じられないと思うのはサイケおやじだけでしょうか……。

あくまでも個人的な思い、あるいは願いではありますが、議会制民主主義においては与野党のバランスが拮抗し、その中から、あまり使いたい言葉ではありませんが、妥協と協調を見出してこそ、少数意見を取り入れるという真の民主主義を達成出来るはずが、現実的には権力者と反対勢力のぶつかり合いばかりが本筋となり、いつも闇雲に反対ばっかりを唱えるのが野党の役割とする、如何にも安易な方法論に縋り、ふんぞり返って不平不満をタレまくるボンクラどもを御するのが与党の仕事!?

そんな悲しい構図が、常に我が国の政治の世界では当たり前になっている中で、殊更今回の状況は最悪でしょう。

なにしろ野党第一党の民進党が埋没していたところへ、その分裂を促進させる触媒としての小池百合子という、心身共に厚化粧の女王が出てくれば、咽び泣いて跪き、彼女の足を舐める変節者が続出したのですから、これまでの主義主張が如何に脆弱だったのかを自白したも同然!

結局、それでも小池百合子から拒絶された面々が、彼女の足どころか、自ら吐いた唾を舐めることになってしまったのも自業自得と思うばかりです。

そして結成された枝野一派の立憲民主党は、ど~見ても共産党の別動隊であり、しかも発表されたロゴのデコボコで不揃いな文字デザインからは、何時でもバラバラになりますよぉ~♪ ってな印象しか伝わってきませんし、奴らの主張にしても、反安倍政権・反自公じゃ~、この時局には完全にズレているのですから、始末が悪いですよ。

極限すれば、枝野一派には「立憲」だの「民主」だのという言葉は一番不似合いだし、振りかざす「理念」だって、自己保身と欲求不満の戯言が、その本質としか思えません。

うむ、これじゃ~全く、今までの支持者を無視したも同然ですし、自民党や創価学会が嫌いな有権者だって、それじゃ~投票しずらいから、小池百合子に希望を託すのでしょうか……。

しかし、希望の党は公認申請者に対して政策同意書に署名を求めたり、上納金を振り込ませたりするという、完全に寝返り者を信用していない処遇は、当たり前と云えばそれまでのキワドイ集団!?

おまけに極右思想を滲ませている事を鑑みれば、自公政権が目論んだ護憲派一掃の狙いが、ここに補完されたと受け取るべきかもしれません。

そして切羽詰まった民進党の前職候補者は無所属という、流れ者的な立場で選挙に臨み、あわよくば当選した後に枝野一派に草鞋を脱ぐつもりなんでしょうが、そんな義理知らずみたいな者にゆっくり遊んでいられたら、有権者や支持者はバカにされたも同然です。

何か口惜しさが半分、笑いが半分なのが、現在のサイケおやじの心境であり、願わくは全ての候補者には忌憚のない自らの言葉で、主張を述べていただきたいところです。

そこで本日のジャストミート曲は、渡辺真知子が昭和55(1980)年に放った大ヒット「唇よ熱く君を語れ」を出してみました。

ご存知のとおり、これは某化粧品メーカーのキャンペーンソングという扱いでしたから、東海林良の綴った歌詞は前向きですし、渡辺真知子の附したメロディにしても明るい力強さがあるという、これまでの彼女が十八番にしていた失恋系の楽曲からは幾分のイメチェンが良い方向へ作用した、まさにメジャーなヒット狙いの典型でありました。

そ~です、現在のドロドロと混濁した選挙には、ミエミエだとしても、こ~した明るく振舞う姿勢を繕うことこそが、国民に安心感を与えるんじゃ~ないでしょうか。

もちろん、それは決して真の姿ではないかもしれませんが、綺麗な口紅だって剥げる時からくるように、その時のためにも、今は心に響く、熱い言葉での本音の訴えを全ての立候補者に期待するものであります。
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バカにつける薬を探してます

2017-10-03 19:30:27 | Weblog

ほんの一握りのボンクラどもの所為で仕事が縺れて難儀しているサイケおやじです。

本日の1枚は休載させていただきますが、なんだか永田町の面々の艱難辛苦と深慮遠謀に共感を覚えましたですよ。

情けない……。

失礼致しました。

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ケツをぶっつけ、理解出来たらねぇ~~

2017-10-02 20:40:59 | Soul
The Bump / Commodores (Tamla Motown / ビクター)

連日国民を呆れさせている永田町の権力ボケした奴らが一番イケナイのは、対立する相手と面と向かって話をしない、あるいは出来ないのかもしれませんが、とにかく背を向けた姿勢で自己主張ばっかりしたって、これまで同様の関係なんかには戻れないし、むしろきっぱり離れていくという態度が必要なのは明々白々でしょう。

しかし、仲間同士の喧嘩ってのは、裏を返せば「雨降って地固まる」というチャンスでもあるはずが、現実的には、なかなかそ~はならないところに根差すのは、背を向けたまんまでタレる相手への不平不満、誹謗中傷なんですから、始末が悪いですよ。

さて、そこで本日のジャストミート曲はコモドアーズが1974年に出し、翌年からロングセラーとなったディスコの聖典「The Bump」であります。

これは所謂ファンク系ダンス曲として用いられれば、そのファンキーグルーヴには思わず腰が浮くという強烈なノリがナチュラルに噴出する名演であり、しかもディスコのフロアーでは特に男女がリズムとビートに合わせて互いにケツをぶっつけ合うというキメのフリが大流行り!

それは当時の人気テレビ番組「ソウル・トレイン」でもスタジオフロアーで踊るシーンがウケまくっていた事から、忽ち世界中に広まり、我が国でも昭和50年代にそんなこんなの場所では、男と女がバンプを踊るのがオシャレだった時期が確かにありました。

ただし、これがなかなか難しくて、特にリズムに合わせて相手にケツを出すというアクションは、つまり相手との呼吸が互いに求められるわけで、それこそが背中を向けていても、相手を理解する協調性であるならば、そこから愛が始まるなぁ~てことも!?

それが掲載した日本盤のジャケットにも描かれているんですが、これを演じているコモドアーズはアメリカの黒人音楽では名門モータウンレコードに所属の実力派バンドであり、リアルタイムではボーカル&コーラス物よりも、インスト系のイケイケな演奏が十八番だったという履歴は後年、甘口の黒人ポップスでヒット曲を連発した姿からは遊離した印象さえあるでしょう。

それは当時のメンバーだったトーマス・マクリー(g)、ミラン・ウィリアムズ(key)、ウィリアム・キング(tp,vo,per)、ライオネル・リッチー(vo,sax,key)、ロナルド・ラブリード(b)、ウォルター・オレンジ(vo,ds) というのが基本のラインナップだったようですが、当然ながらステージやレコーディングの現場には助っ人が入っていたのかもしれませんが、既に述べたとおり、コモドアーズは演奏に関しては相当の実力者揃いだったようで、モータウン系のスタア歌手の巡業用バンドを務めたり、前座として出演したりしての実績を重ね、モータウンからのレコードデビューを果したとか?

ちなみに、コモドアーズは当然ながら、それ以前のキャリアがあって、他のレコード会社に残された音源も侮れないわけですが、しかし今となってはメンバーの中のライオネル・リッチーが黒人歌手のスーパースタアとなったソロ活動、またそこに繋がるコモドアーズ時代の甘口歌謡路線の推進者としての評価等々が、あまりにも大きいですよねぇ~~♪

ところが、コモドアーズには、もうひとりの中心人物が存在し、それがキーボード担当のミラン・ウィリアムズが主導していたであろうインスト系ファンキーグルーヴ曲の魅力であり、例えばこの「The Bump」の他にも代表曲のひとつとして有名過ぎる「Machine Gun」とか、そのあたりは特に初期~中期に製作されたコモドアーズの諸作アルバムで存分に楽しめますので、ぜひっ!

ということで、ここに来て、ど~にかこ~にか今後の方針らしきものを見せ始めた民進党の関係者には、結局のところに小池百合子への怨み節が拭い去れないのでしょうか?

もはや公示まで数日しか残されていない選挙戦では、混乱を収拾するよりは、事後にど~やって許しを請うか、そこまで思い詰めている者は少なくないでしょう。

それが永田町の面々のザマだとしたら、日本の国がちっとも良くならないのも、悔しいけれど認めざるをえないのかもしれませんが……。
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