【社説①】:週のはじめに考える 再び頭を上げるために
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:週のはじめに考える 再び頭を上げるために
東日本大震災が発生した年、アラブの地では堅牢(けんろう)不落とみられていた独裁政権が民衆のデモで次々と倒されました。その「アラブの春」から十年がたちます。
発端は北アフリカのチュニジアで、露天商の青年が警官から屈辱的な仕打ちを受け、抗議の焼身自殺を遂げたことです。警察への反発が政権打倒の波となり、その波はアラブ全域に広がりました。
チュニジア、エジプト、イエメン、リビアで独裁政権が倒されました。ニューヨークのウォール街やマドリードの広場でも触発された人びとが路上を占拠し、政府や富裕層らに異議を訴えました。
◆長続きしなかった歓喜
しかし、歓喜は続きませんでした。軍が権力を奪還したエジプトはより厳しい警察国家に変容します。リビアとイエメンに加え、民主化が叫ばれたシリアもいまだ泥沼の内戦にあえいでいます。成功例とされるチュニジアですら経済的な苦境に陥っています。
何が足りなかったのか。なぜ、歓喜は暗転してしまったのか。
「春」を革命とみなすか否かについては議論があります。ただ、現地の人びとは革命と呼んでいます。「命を革(あらた)める」という意味ならば、それはうなずけます。
「頭を上げろ、君はエジプト人だ」。解放区となったカイロのタハリール広場で叫ばれたスローガンです。「パンよりも尊厳」。横断幕にはそう記されていました。
たしかに広場の人びとは生まれ変わったかのようでした。そこでは盗難一つなく、誰もが進んで掃除をしていました。女性たちも座り込み、イスラム教徒とキリスト教徒が肩を組んでいました。従来のエジプト社会では想像できない光景が広がりました。
広場の運営は合議制でした。特定の指導部、戦略、将来の青写真もありませんでした。歴史上、革命党派が権力を握るや、独裁政権に化けた例は少なくありません。
◆広場外に生活者の不安
だから、この直接民主主義的な試みは世界を引きつけました。広場の青年たちは「将来、おかしな政権ができれば、再びデモをするだけだ」と言い放ちました。
青写真の不在は解放感を引き立てます。でも、広場の外の生活者たちは不安げでした。周辺の路上では最貧層の人びとが普段通りに野菜を売り、国土の大半を占める農村でも革命は人ごとでした。
独裁政権は倒れ、その後の総選挙では唯一、全国規模の組織網を持っていたイスラム主義のムスリム同胞団が勝ち、政権を担いました。しかし、同胞団は公約を無視したイスラム化政策を進めます。不満を抱いた青年たちは軍とともに同胞団政権を倒します。でも軍は権力を握るや、小うるさい青年たちを強権で排除しました。
リビアやシリアなどでは、青年たちの異議申し立てを反政府武装集団や外国勢力が横取りし、内戦へ転げ落ちていきました。
「春」の余波は続いています。スーダンやアルジェリアでも独裁政権が倒されました。イラクやレバノンではいまも宗派を超えた青年たちが腐敗した政府や支配層に対し、抗議を続けています。
それでも次の一幕が開けない。新たな社会が生まれません。青写真の欠如が裏目に出ます。
◆青写真描く度量必要に
新たな倫理の創造は画期的でした。でも、生活者らの賛同を得るためには具体的な未来図も必要だったはずです。政策が問われる以上、妥協も必要になるし、格好悪く映るかもしれません。間違いもあるでしょう。間違えれば、謝罪して直す。革命に参画した人びとには、そうした度量が足りなかったように思えてなりません。
革命の真価はその後の社会建設の段階で問われます。そこでは人びとの忍耐力が欠かせません。
アラブだけではありません。いま、将来への不安や自らを時代の被害者と見なす閉塞(へいそく)感が世界を覆っています。こうした感情は単純で強引な打開策を求めがちです。米国のトランプ政権や欧州などの極右勢力の支持者たちもその点では変わりません。日本もまた例外とはいえないでしょう。
しかし、救世主や安易な解決策を待望する心性は民衆の主権意識を衰退させます。自分たちが社会の主人公になること。理想を言葉で終わらせないこと。それを求めようとするなら、人びとは自らも改革の試行錯誤を引き受ける覚悟を背負わねばなりません。
いま、「春」という祝祭を重苦しい沈黙が覆っています。しかし「春」が無意味だったとは思えません。何より人びとは自らの力で堅牢な壁を壊し、見たことのなかった風景を垣間見たのですから。自らの力を確信したのです。
革命の次章がいつ開かれるかは誰にも分かりません。しかし、今日もアラブの各地では圧政にあらがうデモが続いています。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2021年01月10日 07:34:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。