【大谷昭宏のフラッシュアップ・02.19】:「桐島聡」最期に名乗り出た意味は…ラジオでじっくり語ってきた
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【大谷昭宏のフラッシュアップ・02.19】:「桐島聡」最期に名乗り出た意味は…ラジオでじっくり語ってきた
49年間逃亡の末、死の4日前、神奈川県で男が重要指名手配犯「桐島聡」と名乗り出た連続企業爆破事件。リスナーの疑問に答えながら話した大阪・ABCラジオの先週の続き。
東アジア反日武装戦線が学生運動を見限って、日雇い労働者や在日朝鮮人を中核に据えた“窮民革命”についてのリスナーの疑問。
-踏みにじられた窮民と財閥系企業の爆破がどうしても結びつかないのですが
その通り、実際結びつかなかったのです。やはり自分たちが見限った学生運動と同様、彼らも頭でっかちだったのです。明日のお米にも困っている人々に爆弾を作っている余裕なんかあるはずがないのです。結果、自分たちで手を下し、組織は壊滅してしまいました。
-爆弾テロで社会が変わるはずがないですよね
当然です。爆破で犠牲になったのは家族を大切に懸命に働く市民たちです。そんな人の命を奪っておいて共感を得られるはずがありません。
-それにしても49年間、よくも逃げ続けましたね
彼らが教本にしていた「腹腹時計」には「単独で逃げ、深入りせずに人とつき合い、隣人には挨拶(あいさつ)を欠かさず」と書かれていて、その通り実行していました。
-最期に名乗り出た意味はあったのでしょうか
死の直前、捜査員に「(事件を)後悔している」と話したそうです。意味はわかりませんが、爆弾やテロでは社会は変わらない。事件当時21歳だった自分と同年代の若者がきちんと選挙に行き、ゆっくりであっても社会を変えて行ってほしい。そう捉えてもらえたら、彼が名乗り出た意味はあったのではないか。私は勝手にそう考えています。
■【前編】『「桐島聡」とあの頃の日本 ラジオでじっくり語ってきた』はコチラ
◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)
ジャーナリスト。TBS系「ひるおび!」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。
![大谷昭宏のフラッシュアップ](https://cache2.nipc.jp/general/column/flashup/img/icon.png)
■大谷昭宏のフラッシュアップ
元読売新聞記者で、87年に退社後、ジャーナリストとして活動する大谷昭宏氏は、鋭くも柔らかみ、温かみのある切り口、目線で取材を重ねている。日刊スポーツ紙面には、00年10月6日から「NIKKAN熱血サイト」メンバーとして初登場。02年11月6日~03年9月24日まで「大谷昭宏ニッポン社会学」としてコラムを執筆。現在、連載中の本コラムは03年10月7日にスタート。悲惨な事件から、体制への憤りも率直につづり、読者の心をとらえ続けている。
元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・連載・「大谷昭宏のフラッシュアップ」】 2024年02月19日 08:01:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。