以下の記事を読みながら、コメントを開いてみたところ、以下のコメントがありました。
(共同通信)【首相靖国参拝】 「失望」の裏に憤り 米、参拝静観に決別 2013/12/29 17:48
…「これだけ靖国参拝を我慢しているのに、中韓は対話を拒否している。首相は不満を募らせている」。今秋訪米した日本政府高官はこう漏らしていた。…(引用ここまで)
これほど身勝手な言い分はありません。この発言をした時、安倍首相はアメリカで何を言っていたか、以下ご覧ください。
2013年ハーマン・カーン賞受賞に際しての安倍内閣総理大臣スピーチ平成25年9月25日
そして本年、我が政府は、実に11年ぶりに防衛費を増額しました。いったいどれだけ、と、お知りになりたいでしょう。でもその前に、日本はすぐそばの隣国に、軍事支出が少なくとも日本の2倍で、米国に次いで世界第2位、という国があります。この国の軍事支出の伸びを見ますと、もともと極めて透明性がないのですが、毎年10%以上の伸びを、1989年以来、20年以上続けてきています。さてそれで、私の政府が防衛予算をいくら増額したかというと、たったの0.8%に過ぎないのです。従って、もし皆様が私を、右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞそうお呼びいただきたいものであります。まとめとして言うならば、日本という国は、米国が主たる役割を務める地域的、そしてグローバルな安全保障の枠組みにおいて、鎖の強さを決定づけてしまう弱い環であってはならない、ということです。日本は、世界の中で最も成熟した民主主義国の一つなのだから、世界の厚生と安全保障に、ネット(差し引き)の貢献者でなくてはならない、ということです。(引用ここまで)
軍国主義者が自分を軍国主義者だと言った軍国主義者はいるか?安倍首相の放言を許せるか?大恥!大渇! 2013年9月26日
身勝手な英霊尊崇心は戦死者·虐殺された民衆を冒涜するもの!最悪最低のスリカエ!情緒のウラに改憲アリ! 2013年12月26日
さて次は、参拝を正当化する発言です。侵略戦争を正当化する靖国神社と無宗教の、しかも内戦であった南北戦争を契機に南軍のロバート・E・リー将軍の住居周辺の土地に築かれたアーリントン国立墓地を比較して、靖国参拝を正当化するという呆れた思想です。アーリントン国立墓地に眠る「太平洋戦争」戦没者は怒っていることでしょう。
しかも、アメリカは、この戦争のなかで奴隷解放宣言をし、この宣言をきっかけとして、合衆国で奴隷解放運動が後に盛んになったものの、その後も黒人差別は継承されていました。60年代に、いわゆる公民権運動の発展のなかで、それなりに黒人差別を克服、オバマ大統領の登場は、白人優先社会であったアメリカの発展を象徴するものでした。
そうしたアメリカ合衆国の奴隷制度の歴史と、日本のように侵略戦争の戦争責任を曖昧にしている勢力が政権を担当しているという不道徳的エセ民主主義、その事例としてあげるならば、西郷隆盛など、天皇に「背いた逆賊」を靖国神社に「合祀」しない、霊魂は差別されないと、彼ら自身が述べているように、神道にあるまじき「差別」の象徴としての靖国神社を、正当化、礼賛する不道徳ぶりを象徴するコメントがなされているのです。この恥ずべきコメントについては、反論のコメントも掲載しておきます。
投稿者 玉井次郎 : 2014年01月01日 01:50
歴代大統領は当然のようにアーリントン墓地にお参りしている。アーリントン墓地には、南北戦争で南軍を率いて戦ったリー将軍の墓もある。奴隷制継続を主張した南軍の将軍の眠る墓地にお参りするのは、奴隷制復活を心に誓っているからではないか!といえば言いがかりだと反論するだろう、靖国もそういうものだ!
投稿者 日本人 : 2013年12月31日 09:21
神社に参拝したら外国が攻めてきたでござる -by 忍者はっとりくん
靖国の問題は心の問題、言い換えれば宗教問題だと思います。平和を望むのであればまずこれを基盤にして語るべきです。ユダヤの方のパレスチナへの思い、イスラムの方の神への思い、これは何人たち立ち入ることはできません。靖国いる御霊はすでに人ではありません。そこにはA級戦犯などという方はおりません。御霊は東条英機という体から離れて御霊になったのです。
投稿者 m : 2014年01月03日 00:05
仏教やキリスト教の「お墓」と、靖国神社に戦死者が神様として祀られることを、混同している人が多い。また、宗教色を廃した米国のアーリントン墓地と、神道の(もともと国家神道の)宗教施設である靖国神社を単純比較して、同じようなものだと論理展開する人も多い。参拝賛成派にも、靖国参拝している閣僚にも、そういう無知な人が多いことに驚く。戦時中の日本帝国の行為を後の価値観だけで単純に善悪付けてしまうのは良くないとは思う。当時の日本の、そして世界の価値観は今とは違っていただろうから。しかし、だからといって過去の非道な行いについて、現代の行政府のトップが許容するような発言や行動をしてしまえば問題だろう。(例えば、米国の奴隷制度について、あの当時は仕方なかった、などと大統領が言えば大問題になるだろう)
靖国神社については、戦犯がAとかBとか、そういうこと以前に考えるべき部分が幾つも有るように思う。戦時中は、神道という宗教思想を戦争の道具に利用した。国民個人の信仰とは関係無く、国が無理やり戦死者を靖国に神として祀った。神道という民俗宗教は、この日本列島に住むものだけのローカルな宗教。古くから仏教を信仰していた日本人に撮って、神道式に祀られることに違和感を覚えた人も居ただろう。文化背景の違う沖縄の人や、併合され日本人となっていた当時の朝鮮半島系の人には、なおさらのことである。過去の大日本帝国と、現在の日本を別の国として切り離して考えるのならば、大日本帝国の行った、国民に対する数々の人権無視の政策を容認するのはおかしい話だ。大日本帝国と現在の日本が同じものだと言うのならば、無謀な方針で戦地に送り込んだ政府側の人間が、どの面下げて無駄死にさせた戦死者を「英霊」などと呼んでいるのか、と思ってしまう。他国への侵略行為や、戦犯の定義の議論は勿論大切だろうが、戦時中の国内の人権弾圧の話が、報道にも政治家の話にも出てこないことに違和感を覚えます。(引用ここまで)
以上のような恥ずべきコメントがネットに掲載されている理由は、以下の記事にあることが判ります。これも日本を代表するジャーナリストにあるまじき屁理屈、珍論と言えます。こうした思想を克服する論戦が、マスコミ界において、もっともっとなされるべきではないでしょうか。
一つは、中曽根首相の「戦後政治の総決算」を免罪し、中ソ問題に歪曲していることです。スリカエです。日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(1978年8月12日)の調印という背景を無視した傲慢論です。これについては、高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書05年4月刊)と田中伸尚『靖国の戦後史』(岩波新書02年6月刊)のなかで詳しく論じられています。
日本軍国主義復活をめざす大東亜戦争正当化論者たちの跋扈は、ソ連「脅威」論に加えて中国「脅威」論を持ち出して国民を思考停止に追い込み、軍国主義の復活を正当化しているのです。このことは尖閣問題を挑発して、その「脅威」論を利用して日米軍事同盟の深化と憲法改悪を正当化している構図と同じです。中曽根氏の「戦後政治の総決算」と安倍氏の「戦後レジームの見直し」は憲法改悪の延長線上に位置づけられているのです。そのための中国敵視政策ということです。
こうした敵視政策によって、国民を思考停止に持ち込み、政権を維持し、軍国主義を正当化する手法は明治以来一貫しているのです。こうした手法がどのような結果をもたらしたか、日本国民は克服していく必要があると思います。歴史に学ぶということは、そういうことです。
二つ目は、「歴代大統領」が「南北戦争での南軍将兵が埋葬されたアーリントン国立墓地を訪れた」ことをもって、「南軍がその保持のために戦った奴隷制の承認を意味はしない」のだから、「靖国参拝についても同じことが言える」という珍論です。このような珍論・暴論を安倍首相に入れ知恵をしている「論客」がいるのでしょうか。このような恥しい珍論・暴論をネットに流布させている狙いを打ち砕いていかなければなりません。
奴隷解放をめざした南北戦争と官軍と賊軍との戦いで戦死した武士を慰霊するために創建された東京招魂社(後の靖国神社)を単純化して同一化し煙に巻いているのです。こうしたスリカエは、賊軍の武士を招魂・慰霊していない靖国神社の不道徳性を覆い隠しているのです。日本の膨脹主義としての侵略戦争を遂行した皇軍兵士と、その戦争を立案・計画・指導した戦争犯罪人を「英霊」として祀る靖国神社をアーリントン墓地とゴチャマ混ぜにしているのです。更に言えば、侵略戦争に反対して殺された愛国者は一貫して黙殺しているのです。ここに最大の不道徳があります。
櫻井よしこ氏のような暴論・珍論は、犯罪者が情状酌量をゴマカシ、スリカエ、悪用して、犯罪の上塗りをしているようなものです。恥ずべきことですが、このような発想は微塵もありません。それは、彼らが、戦前の亡霊を、胎内に保存しているからです。これは、あの東京裁判で、天皇裕仁の戦争責任を曖昧にしてきたこと、天皇裕仁自身が自らの責任を潔く取らなかったこと、その不道徳ぶりが、戦後日本において、一貫して曖昧にされてきたことに最大の要因があります。
政治家が、責任を取らないことが日本の文化として継承されていることはフクシマを見れば明瞭です。こうした不道徳を容認している最大の要因は国民主権の不徹底さにあります。民主主義の到達点です。ということは、この点を克服する取り組みこそが、憲法を活かしていくことに連動していくのだと思います。
中国 ソ連の脅威消滅で靖国利用し日本に圧力と櫻井よしこ氏 2013.08.14 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20130814_204215.html
安倍首相の靖国神社参拝をめぐって中国、韓国からの攻勢がますます強くなっている。自国を守るために戦死した先人の霊を悼む行為は国家指導者にとって万国共通の責務であるはずだが、我が国では残念ながらそうではない。なぜ首相の靖国参拝はかくも“政治問題”となってしまったのか。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が解説する。
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これまでの報道や安倍首相自身の発言から、安倍首相が靖国参拝の深い意味も、靖国参拝が「問題化」した経緯もよくよく理解されていることが伝わってきます。いわゆるA級戦犯の方々は1978年秋の例大祭の直前に合祀され、1979年春に毎日新聞によってスクープされました。1979年、大平正芳首相は春の例大祭にも秋の例大祭にも参拝しましたが、その年の暮れに中国を訪問すると、大平首相は大歓迎を受けました。その翌年、靖国参拝で知られていた中曽根康弘氏が訪中した際には、中国人民解放軍副参謀長の伍修権氏が、日本の軍事費の倍増を求めました。つまり、中国は靖国参拝をまったく気にも留めておらず、まして日本の軍国主義と結びつけて考えてはいなかったのです。それは韓国も同様です。その後も、日本の首相は靖国神社を参拝し続けました。中国が方針を換えたのはA級戦犯の合祀が明らかになってから6年半も後、中曽根康弘首相が1985年8月に参拝した後のことです。ソ連が弱体化し、1985年3月にゴルバチョフ大統領が誕生すると、中国はソ連の脅威を言い立てる必要がなくなり、今度は日本に圧力をかけるために靖国参拝を利用するようになりました。つまり参拝批判は「国民感情」ではなく、あくまでも政治的要因だったのです。
安倍首相は今年5月にアメリカの外交雑誌『フォーリン・アフェアーズ』のインタビューを受け、2006年の小泉首相の靖国参拝を「心の問題」として支持した、ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授の見解を引いて、こう答えました。「ドーク教授は、南北戦争での南軍将兵が埋葬されたアーリントン国立墓地を歴代大統領が訪れたが、南軍がその保持のために戦った奴隷制の承認を意味はしないと言明しました。靖国参拝についても同じことが言えると思います」
このように、靖国参拝がA級戦犯の方々や軍国主義を賛美するものではないと説明し続けることこそ、大切です。※週刊ポスト2013年8月16・23日号(引用ここまで)