ネット「監視」は「中国共産党」だけではなかった!
「自由民主」党も同じ?
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中国共産党が「ネット世論」を意識し始めた理由
吉田陽介[日中関係研究所研究員] 2016年5月6日
http://diamond.jp/articles/-/90628
2012年に発足した習近平政権は改革を進める姿勢を一貫して示しているが、急激な改革、とくに政治面での改革には慎重で、社会の安定を保つため管理を重視している。習政権の行っている管理ですぐ頭に浮かぶのは「ネット規制」だろう。周知のように、現在中国では一部サイトの閲覧ができず、中国共産党が有害と判断した情報をシャットアウトしている。
その一方で、習政権は経済発展にインターネットは重要と考えており、昨年の「政府活動報告」に「インターネット+」という言葉を登場させ、「インターネット+製造業」、「インターネット+流通」というようにインターネットを用いての経済の活性化を図っている。
4月19日、習総書記は中央サイバーセキュリティー・情報化工作会議で講話を行った。そのポイントは、インターネット事業の発展は人々に幸せをもたらすという点、インターネットの発展環境を整えつつ民意に留意するという点、インターネット関連のコア技術を発展させるという点である。この講話の中で習総書記は、ネット上で人々が述べた意見の中で、建設的なものを取り上げ、政府や指導幹部に対する批判を歓迎すると述べ、インターネットを通じて人々の声を聞く姿勢を示した。
この講話の全文は4月26日付けの『人民日報』に掲載され、翌27日にはこの講話の単行本化が報じられた。このことから、習政権がインターネットを経済発展を促す重要産業と位置づけ、人々の声を聞くという手段として重視していることが分かる。
習政権は異なる言論を封じているイメージが強いが、それはなぜか? また、その一方で、なぜ人々の声を拾おうとしているのか、考えてみたい。
ネットを意識する習政権 背景に「歴史の教訓」
中国はなぜネット規制を行うか。まずは習総書記のネット規制に関する講話の一部をいくつか見てみたい。
「若者をはじめ多くの人々は、主流メディアを見ておらず、情報の大部分をインターネットで入手している。われわれはこの事実を直視し、さらなる力を投入して、インターネットという世論の戦場の主導権をいち早く握らなければならず、脇に追いやられてはいけない」
「法律に基づいてサイバースペースの管理を強化し、インターネットを確実に管理下において、われわれのサーバースペースを清く正しくする必要がある」
「サイバースペースも現実社会と同じで、自由を唱導しなければならないが、秩序も守らなければならない」
上に挙げた習総書記の言葉を見ると、ネット規制を行うことにより、人々の発する意見を封じるという印象を受ける。ここで挙げなかったが、習総書記は「世論を導く」ということも言っており、言葉だけを見ると、中国は、有無を言わさず言論を封じる社会ではないかと見てしまう。
そもそもこのような言葉が出てくるのは、中国特有の事情がある。現在の中国はインターネットが発達しており、2015年12月時点での中国のネット民は6億8800億人、423万ものサイトがあるという。ネット利用者が多いだけに、大量の情報が流れ込み、中には現体制や社会にマイナスとなるものも含まれているため、これを管理しなければ安定を保てない。「サイバースペースも現実社会と同じである」という習総書記の言葉は、サイバースペースを「無法地帯」にしないようにするという決意が示されている。
現在中国では「総合安全観」という言葉をよく聞くが、それは軍事的安全だけでなく、安全には政治、経済、文化、環境、ネットなどの面でのそれも含まれるということである。
現在の中国は、自国の周辺の安全はもちろんのこと、国内の安全も重視しており、国内でのテロ事件や中国共産党を転覆させるような言論が広まることに神経を尖らせている。ゆえに、ネット面での安全についての習総書記の言葉も、このような厳しい言い回しになるのだろう。
中国はなぜインターネット上の安全を重視するのか。
先ごろ出版された『総合安全観幹部読本』によると、サイバースペースは開放的なもので、ネット民は「微博(ウェイボー)」などで簡単に情報を発信できるが、その中にはデマなど社会の不安を誘う情報があり、それが社会問題の解決をさらに難しくするからだと説明しているが、筆者はその理由のほかに歴史の教訓もあると考える。
一つは、ソ連崩壊の教訓である。
中国は社会主義の看板を掲げつつ改革を推し進めており、ソ連崩壊後中国はその要因を分析し、反面教師としている。ソ連崩壊の教訓のひとつとして、「和平演変」が挙げられる。
それは、アメリカをはじめとする西側資本主義諸国が、反対派への支援や、メディアを使って社会主義国のマイナスイメージを宣伝し、国際的イメージを低下させることなどを通じてソ連など社会主義国の体制を武力ではなく平和的手段で転換させるというものである。情報面での開放が進んだ今日、情報による「和平演変」に中国は神経を尖らせている。
冷戦時代、ソ連は「鉄のカーテン」、中国は「竹のカーテン」で外からの情報をシャットアウトして、西側諸国のイデオロギーなどに関する情報が入ってこないようにしたため、社会が安定し、体制を維持できた。
だが、改革が進み、グローバル経済とのかかわりが大きくなると、そのような措置をとることができなくなる。そして、人々は自国の状況と外国のそれとの間に格差があることを認識して現体制に不満を持ち、現政権の存続を揺るがす恐れがある。現在の中国もグローバル化の流れに逆らうことはできず、毛沢東時代のように情報を完全にシャットアウトはできないが、社会の安定を損なう情報のみをシャットアウトしている。
二つは、文化大革命及び天安門事件の教訓である。
マルクスの『共産党宣言』に「万国のプロレタリアートよ団結せよ」という有名なフレーズがあるが、自覚した労働者・知識人が社会主義の理念のもとに団結することを大衆に呼びかけて結束させ、現政権を倒すことのできるパワーを持ちうる。中国共産党は人口の圧倒的多数を占めていた農民を味方につけて革命を遂行し、強大なパワーで抗日戦争、その後に起こった国共内戦を戦った。
1966年に起こった文化大革命も毛沢東思想のもとに多くの人々が団結し、政治闘争を繰り広げて劉少奇や小平ら実務派指導者を政治の表舞台から引きずりおろした。そして運動は拡大し、強大なパワーを得た大衆は革命の名の下に、生産活動を停滞させ、法制度などを破壊したことにより、経済・社会の安定が損なわれた。
また、1989年に起こった天安門事件は鎮圧され、文化大革命のようなことにはならなかったが、立ち上がった大衆が政権を脅かすパワーを備えていたといえる。
このように、大衆が革命や社会の変革の大義名分のもとに立ち上がり、彼らによる政治闘争が拡大すると政権にとって極めて危険である。ネット社会の現在、一部の過激派がインターネットを通じて多くの人々を扇動することは容易である。習総書記は文化大革命も、天安門事件も経験しているため、「大衆の怖さ」を熟知しているがゆえに、インターネットで反対派が扇動的情報を流すことに神経を尖らせているのではないかと考える。だが、その一方で、習政権は政治面での改革も忘れてはいない。
「ネット大衆路線」を掲げる
習政権は人々の支持を得られるか?
「大衆路線」は中国共産党が革命時代から掲げている理念である。習政権は発足後、「大衆路線教育運動」などで、あるべき党員像・幹部像を説き続けた。習総書記の言うあるべき党員・幹部というのは、党の言うことを聞き、使命感を持って人民に奉仕するというもので、党の政策を堅持し、人々が何を望んでいるか理解し、奉仕することである。現在の中国は習総書記に権力が集中しているというのが大方の見方だが、それは間違ってはいない。
だが、その一方で、現在の中国共産党は民意を無視して政権運営はできなくなっていることも事実である。
例えば、全人代の「政府活動報告」の作成期間中、人民ネットなど中国の主要メディアはネット上で人々に提案を呼びかけており、インターネットを使って人々が何を望んでいるかを知ろうとしている。
これは大衆路線の考えを反映させたものであり、「ネット大衆路線」といえる。
習総書記は、「ネット民は一般の人々であり、彼らがインターネットを使うということは、民意もインターネット上に上がるということだ」と述べ、幹部にネットを通じて民意を知ることに長じるよう求めた。
中国共産党はなぜ親民路線をとるのか? それはソ連共産党の教訓が大きい。
中国の研究によると、ソ連共産党の失敗は大衆から遊離して支持を得られなかったことあるという。ある研究者は、ソ連共産党はフルシチョフの政権期に経済改革が行われ、それが進むにつれて、党は大衆から遊離し、ゴルバチョフの時代になると、ソ連共産党は「ブルジョア階級の党」になっており、共産党の理念からかけ離れた党となって人々の支持を失ったと指摘している。
中国共産党も改革開放以降、拝金主義が横行して腐敗が深刻化し、大衆から遊離する傾向にあったが、胡錦濤政権から親民路線に戻り、現在もそれを引き継いでいる。ゆえに、習総書記はインターネットを通じての批判を歓迎すると述べたのである。
また、批判を歓迎すると習総書記が述べたのにはもう一つの思惑がある。
それは「世論の監督」による党員、とりわけ指導幹部の引き締めを行うためである。現在、習政権は党員・幹部に対する監督管理を強化しているが、その主たる担い手は中央規律委員会である。同委員会は党の機関であるため、往々にして「内輪の管理」となる。その状況下では、往々にして「かばい合い」になり、有効なチェックが働きにくいのは自明のことである。
外からの監督として最も有効なのは「世論による監督」だ。
習総書記は講話の中で、「権力を制度というオリの中に閉じ込める」うえで、インターネットを含む「世論による監督」は重要な手段であると述べ、内からの監督だけでなく外からの監督も重視する姿勢を示した。それはインターネットを「敵対勢力」として弾圧するのではなく、自党を監督する手段として利用するということである。
現在は携帯電話が発達し、人々はスマートフォンで撮影した映像を「微博」や「微信(ウェイシン)」に掲載して情報発信できる。党の指導幹部の不正をインターネット上で公開された映像が暴いたというケースもあり、中国共産党を監視する力としてインターネットが役割を果たすことができるだろう。無論、それは正しい事実に基づいた監視でなければならないのは言うまでもない。
ただ、中国の政治システムは党が強い力を持つため、指導者に都合が悪い情報は隠されるという問題はあるが、世論の監督の必要性を認めたのはひとつの前進である。今後は世論による監督が党を管理するひとつの力になるだろう。
習講話は政治改革着手へのサイン?
権力を集中させ管理を強める一方で、「ネット大衆路線」によって民意を吸い上げようとしている習政権。現在は経済面での改革を強調しているが、政治面での改革ももちろん視野に入れている。
2013年に開かれた第18期三中全会では、人民代表大会の役割をより発揮させ、協商民主をさらに発展するようにし、末端での民主を拡大して「人民の主体的地位」を保証するという目標を示している。
習政権は発足以降、慎重な政権運営をしているため、政治面での改革は後退している観があるが、今回の習総書記の講話で民意を重視する姿勢を改めて打ち出していることから、今後政治面での改革を着実に進めていくと思われる。だが、それをうまく進めていくにはいくつかの課題がある。
一つは、「成熟した社会」をつくるということである。中国では「文明的」という言葉をよく聞く。「文明的行為」というのは、マナーを守り、理性的な行動することである。逆に「非文明的行為」というのは、マナーを守らず本能のままに行動することである。よく言われることだが、中国は発展がアンバランスであるため、一部の地域は成熟社会に達しているが、そうでない地域も多く、すべての人々のモラル意識が高いとはいえない。
ネット上でも、ある記事のコメント欄に感情的コメント、建設的ではないコメントを残す人が多く、例えば、日中関係で理性的発言をした者に対し「売国奴」などと「敵のレッテル」を貼って叩く。そのため、コメント欄には「理性的なコメントをしてください」「文明的書き込みをしてください」という注意書きがある。ある現象について理性的に議論でき、建設的意見がかき消されるようなことのない社会にならなければ、政治面での改革は進まないだろう。
二つには、人々のメディアを比較・分析する能力がさらに向上する必要がある。
現在の中国はかつてと違い、人々が接する情報量が非常に多くなっている。中には、悪意のあるもの、デマ、偏った情報がある。とくに大きな事件や災害が起こったときに、人々に広く使われている微信にウソの情報が流れることもある。与えられた情報が正しいかどうか、複数のメディアの情報を比較検討できる能力の向上が必要である。それには中国の教育が暗記中心の教育法から、考えることを重視するものに変わる必要があるだろう。
三つめは、「ものを言える」雰囲気を作ることだ。
新中国成立後の歴史を見ると、知識人が「ものを言える」時期があった。それは1950年代、「百家斉放、百家争鳴」のスローガンの下、知識人の間での自由な討論がなされた時期である。このとき、当時の中国共産党への批判が出てきて、それが予想以上であったために、自由な討論は反右派闘争に変わり、中国共産党に反対意見を出す者は弾圧されるようになった。
そしてその後、毛沢東の指導が絶対的である「専制的社会主義」となってしまったため、異なる意見が封じ込められ、「ものが言えない社会」となった。この「歴史の負の遺産」により、「ものを言う=上からにらまれて打倒の対象になる」という意識が人々の中に浸透していき、「ものを言えない」雰囲気が形成され、文化大革命が終わった後も「ものを言わない、言っても表面的なこと」という雰囲気が残った。
ただ、現在は、人々はものを言い始めてきており、中国共産党もそれを無視できないようになってきており、徐々に変わってきている。
現在の中国は改革の途上であり、その中では多くの問題が出てくる。また、中国は大国であり、発展もアンバランスなので、問題解決には一定の時間を要するし、人々の資質の向上も時間がかかる。中国は今後どうなっていくかについては、10年、20年スパンで見ていく必要があると筆者は考える。(引用ここまで)