日本の歴史を凝縮した
実に考え抜かれた「おことば」だった!
現行憲法を徹底して活かす!
これに尽きる!
さもなければ
象徴天皇制も皇室も「途切れる危機感」浮き彫り!
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば
(平成28年8月8日)
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12
戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
愛国者の邪論 天皇の歴史認識が浮き彫りになります。
全国戦没者追悼式 平成27年8月15日(土)(日本武道館)
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
愛国者の邪論 「天皇としての自らの歩み」とは「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」という憲法上の規定を踏まえたものであることを考えての発言だということが判ります。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。
愛国者の邪論 「天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら」とは「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」ということを踏まえたものです。ここに「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とされていることを踏まえている天皇の「決意」があります。このことは以下を視れば一目瞭然です。
即位後朝見の儀 平成元年1月9日(月)(宮殿)
「天皇もまた高齢となった場合」とありますが、父裕仁天皇はどうだったか!それを踏まえると、「私が個人として,これまでに考えて来たことを話したい」という言葉に「父とは違うのだ」という「決意」があるように思います。
昭和天皇 - Wikipedia
即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
愛国者の邪論 「国事行為を行うと共に」とは、その他の「公的行為」と天皇家の祭祀=「私的行為」を行ってきたことを踏まえているということです。しかし、「公的行為」については、実は「憲法違反」であることを承知の上で、「内閣の助言と承認」の下で行ってきたことを見逃すことはできません。これは、戦後自民党政権が、戦前「現人神」であり君主である裕仁天皇の戦争責任を免罪するために「人間天皇」を演出するための「政治的行為」でした。
このことは、テレビや女性週刊誌などが特集した「皇室アルバム」は、その象徴です。その始まりがミッチーブームであったことも指摘しない訳にはいきません。
こうして天皇の「地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」存在としての象徴天皇の地位が浸透させられてきたのでした。こうして、平成30年を迎えようとしているという歴史の認識を述べたということです。
更に重大なことを述べています。それは、「伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し」として「万世一系」論を述べているのです。このことは、単に皇室の祭祀である「私的行為」を述べているのではありません。「三種の神器」の「継承者」であることを述べているのです。父裕仁天皇が、最後の最後まで拘った思想です。しかし、このことで、多くの命と財産が奪われたことは、絶対に忘れてはならないことを指摘しない訳にはいきません。その点については「松代大本営と沖縄」「近衛上奏文」をあげておきます。
次の語ったことでは、「万世一系」の「継承者」としての「責任」を自分の代以後の「次の代」に如何に託していくか!これは、今後の「展望」について語ったのです。「日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくか」という言葉に天皇の思想と決意が浮き彫りです。「皇室は永遠に不滅です」という思想です。
そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。
愛国者の邪論 「象徴としての天皇明仁」という側面と「人間明仁」の、二つの側面が強調されています。人間は「平等」に誰もが老いを感じ、命の限界を自覚しています。天皇は、このことを国民目線で語っていると同時に、現行憲法の「象徴の務め」という「重い務めを果たす」自覚を強調しながら、それが「困難になった場合,どのように身を処していくことが」大切か!「身の処し方」。実は、これも「平等」に課せられていることでもあるわけです。避けてとおることができないことは言うまでもありません。天皇裕仁と決定的に違っているところです。
しかし、天皇は、「私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようにな」ったと述べています。ここにも二つの側面、「皇室は永遠に不滅です」思想が滲み出ているのです。
私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間(かん)私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。
愛国者の邪論 「日々新たになる日本と世界の中にあって」「天皇が国民に」「天皇もまた」という側面から「天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たす」ことを述べているところに、現行憲法に対する天皇の考え方、思想が浮き彫りになります。象徴天皇制に基づく天皇・皇室の役割を強調しているのです。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ことを抜きに「皇室は永遠に不滅です」はあり得ないと言うことでもあるわけです。
「主権の存する」「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という現行憲法の、すなわち人類の人権思想とは相いれない「象徴天皇制」との矛盾を天皇なりに「調整」している思想が浮き彫りです。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。
愛国者の邪論 父裕仁天皇の生死の際の「神格化」された経験を踏まえた「配慮」が滲み出ています。このことは天皇陵についての発言からも、「象徴天皇」の思想は揺るぎません。
21世紀の現代に古墳(平成天皇陵)を造営する計画 2014年07月27日
始めにも述べましたように,憲法の下(もと),天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。
愛国者の邪論 結語の部分です。現行「憲法の下」、「我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ」「これからも皇室が」という『主語』を基準にして考えて視ると、天皇の言いたいことが浮き彫りになります。
それは「皇室」は「国民と共にあり」「この国の未来を築いていけるよう」し、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく」「安定的に続いていく」ことを「念じ」ているという、極めて「政治的発言」でした。
これは、高齢という、天皇の実情を踏まえた、形を変えた「皇室存続宣言」です。これを国民に「理解」してくれ!と述べたのでした。
しかし、この「宣言」は、同時に「現行憲法尊重」という思想が土台です。それは、そうしなければ、皇室の存続、万世一系が「安定的に続いていく」ことは不可能であり、「途切れ」てしまうという「自覚」と皇室をめぐる様々な問題点を踏まえた「危機感」が根底にあります。だからこそ「常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」とも述べているのです。
いずれにしても、現行憲法の象徴天皇制の永遠化を述べた今日の天皇の発言は、天皇元首化を明記して現行憲法改悪を狙う安倍派への「痛打」とも言える「政治的発言」でもあるわけです。安倍派がどのように巻き返すか!今後の課題です。
同時に現行憲法遵守を綱領にも明記している日本共産党と一致している部分も浮き彫りになります。参議院選挙の時の安倍派の共産党攻撃を考えると、実に面白い構図と言えます。
同時に、人間は皆平等であるという人類普遍の原則を体現している現行憲法と「皇室制度」と「象徴天皇制」との矛盾も、同時に、天皇の発言で、改めて彫りになりました。
日本の歴史の中で、天皇がどのような役割を果たしてたか。とり分け、明治以後「万世一系の天皇」が「統治」した結果、「政府の行為によって」「戦争の惨禍」が創られたことを反省して現行憲法が制定されたことを含めて主権の存する国民の総意で決まる天皇の地位をどのようするか!そして憲法をどのように活かしていくか!大いに議論することです。