安倍首相が語らなかった重大な言葉とフレーズ!
非核三原則の法制化
北東アジア非核兵器地帯
日本国憲法の平和の理念
広島のウラン型原爆に対して長崎にはプルトニウム型原爆
日本国憲法に反する「安全保障関連法制」を廃止
アメリカの「核の傘」に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に「核兵器の先制不使用宣言」を働きかける
核兵器禁止のために名誉ある地位を確立
「武力で平和は守れない」
核兵器の最後の1発が廃棄されるまで
核物質の生産、加工、実験、不測の事故、廃棄物処理などで生ずる
全世界の核被害者
広島、福島、 沖縄の皆さんと強く連帯します。
「人間による安全保障」の思想を継承し
「核も戦争もない平和な地球を子供たちへ!」
地球市民とともに核兵器廃絶の実現
神の国日本、ほしがりません勝つまでは
私たちは絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも
日中戦争やアジア太平洋戦争などで日本が引き起こした
過去の加害の歴史を忘れてはいません
若い世代の皆さん、未来のために、
過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか
被爆71周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(平成28年8月9日開催)
パンフレット(PDF形式:912KB)
長 崎 平 和 宣 言
http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p028731_d/fil/japanese.pdf
核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。
1945 年8月9日午前 11 時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。 原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、 辛うじて生き残った人たちを今も苦しめています。
核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。 今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。
核兵器保有国をはじめとする各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。
今年、ジュネーブの国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて話し合う会議が開かれています。法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。このままでは、核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。
核兵器保有国のリーダーの皆さん、今からでも遅くはありません。この会議に出席し、 議論に参加してください。
国連、各国政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。
核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を決して絶やしてはなりません。今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けてください。
核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。 今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。
日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとってい ます。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。
核兵器の歴史は、不信感の歴史です。 国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。 世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。 この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。
市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。 オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。
被爆から 71 年がたち、被爆者の平均年齢は 80歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。
若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、 お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。 戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。 長崎では、被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています。焼け残った城山小学校の校舎などを国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。
若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。
福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。
日本政府には、今なお原爆の後遺症に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、被爆地域の拡大をはじめとする被爆体験者の一日も早い救済を強く求めます。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くすことをここに宣言します。
2016 年(平成 28 年)8月9日 長崎市長 田上 富久
安倍首相の性格を浮き彫りにしている映像!
お説教され不満げな安倍晋三。
平和への誓い
幼い頃「神の国日本、ほしがりません勝つまでは」などと教えられて過ごした私は、相次ぐ空襲に逃げまわり、防空壕で息をひそめ、日本の敗戦は近いと思っていました。
1945年8月9日、午前11時2分、アメリカが投下した一発の原子爆弾は、ここ浦上の上空およそ500メートルで爆裂し、長崎の町は、一瞬にして廃墟となりました。
原子雲の下は、想像を絶する修羅場となり、日本人だけでなく、強制連行された中国人や動員された朝鮮人、戦時捕虜のアメリカ人や諸国の人々を含むおよそ74,000人が無差別に殺され、虫や鳥や植物などすべての生き物も死滅しました。
私は当時9歳、爆心地から6.5キロメートルの地で大木に登り枝落としの最中に、巨大な火の玉に目が眩み、耳をつんざく大音響と猛烈な爆風で吹き飛ばされ気を失いました。
翌日から、救護活動に参加した母や姉、兄などの体験で、惨劇の大きさを知りました。その母も姉も兄も歯ぐきから血を出し、髪が抜けるなど、長い間の苦しみに耐えながらも、次々に原爆 症で亡くなりました。
広島で歓迎されたオバマ大統領は、「空から死が降ってきた。」と叙情的に表現されましたが、 広島のウラン型原爆に対して長崎にはプルトニウム型原爆が投下された事から、私には2種類の原爆による実験ではなかったのかとの思いがあります。
被爆した町は、国際的な支援のもとに復興しましたが、私たち被爆者は71年もの間、毎日が苦悩の中にあり、2世、3世もその憂いを引き継いでいます。政府には「原爆症」や「被爆体験者」の救済について、司法判断に委ねず、政治による解決を望みます。
しかし、私たちは絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも、日中戦争やアジア太平洋戦争などで日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいません。
わが国は、過去を深く反省し、世界平和の規範たる「日本国憲法」を作りこれを守って来ました。 今後さらに「非核3原則を法制化」し、近隣諸国との友好交流を発展させ、「北東アジアの非核兵器地帯」を創設することによりはじめて、平和への未来が開けるでしょう。
政府に対しては、日本国憲法に反する「安全保障関連法制」を廃止し、アメリカの「核の傘」に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけるなど、核兵器禁止のために名誉ある地位を確立される事を願っています。
科学の発展が人類の幸せに貢献せず、資源の独占と貧富の差が拡大する限り、世界の不安定は益々激しくなるでしょう。オバマ大統領が率先して示された「核なき世界実現」への希望は、人類の英知による恒久平和をめざすものであり、「非核の国々による核兵器禁止のための国際的流れ」に共通するものと思います。私たちは、オバマ大統領が「最後の被爆地長崎」を訪問されるよう強く願い、歓迎いたします。
私たち被爆者は、「武力で平和は守れない」と確信し、核兵器の最後の1発が廃棄されるまで、 核物質の生産、加工、実験、不測の事故、廃棄物処理などで生ずる全世界の核被害者や、広島、福島、 沖縄の皆さんと強く連帯します。長崎で育つ若い人々とともに「人間による安全保障」の思想を継承し、「核も戦争もない平和な地球を子供たちへ!」という歴史的使命の達成に向かって、決してあきらめず前進することを誓います。
地球市民とともに核兵器廃絶の実現を!! ナガサキ マスト ビー ザ ラスト
2016年(平成28年)8月9日 被爆者代表 井 原 東 洋 一
ヒロシマとほぼ同じ「挨拶」!
種類の違う原爆を使ったのは何故か!
何故8月9日だったのか!
歴史に向き合わない安倍晋三首相浮き彫り!
平成28年8月9日
本日、被爆七十一周年、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
今から七十一年前の今日、この地に投下された原子爆弾によって、当時、七万ともいわれる、幾万の貴い命が一瞬にして失われました。惨禍の中、一命をとりとめた方々にも、言葉にできない苦しみをもたらしました。しかし、市民の皆様の並々ならぬ御努力によって、長崎は焦土から立ち上がり、長い歴史が息づく国際文化都市として、見事に発展を遂げられました。
被爆七十年の昨年十一月には、パグウォッシュ会議世界大会がここ長崎で開催され、「長崎を最後の被爆地に」という長崎宣言が国際社会に発信されました。
本年五月、オバマ大統領が、米国大統領として初めて、広島を訪れました。核兵器を使用した唯一の国の大統領が、被爆の実相に触れ、被爆者の方々の前で、
核兵器のない世界を追求する、
そして、
核を保有する国々に対して、
その勇気を持とう
と、力強く呼びかけました。G7外相会合の「広島宣言」とともに、「核兵器のない世界」を信じてやまない長崎及び広島の人々、そして、日本中、世界中の人々に大きな希望を与えたものと確信しております。
七十一年前に広島及び長崎で起こった悲惨な経験を二度と繰り返させてはならない。そのための努力を絶え間なく積み重ねていくことは、今を生きる私たちの責任であります。
唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、核兵器不拡散条約(NPT)体制の維持及び強化の重要性を訴えてまいります。核兵器国と非核兵器国の双方に協力を求め、また、世界の指導者や若者に被爆の悲惨な実態に触れてもらうことにより、「核兵器のない世界」に向け、努力を積み重ねてまいります。
私は、新たな一歩を踏みだす年に、この地長崎において、世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。被爆者の方々に対しましては、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。高齢化が進む被爆者の方々の実情を、今後もしっかりと踏まえながら、援護施策を着実に推進してまいります。特に、原爆症の認定につきましては、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査に努めてまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ長崎市において、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被爆者の皆様のご多幸をお祈り申し上げるとともに、参列者並びに長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
平成二十八年八月九日 内閣総理大臣 安倍晋三