「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

日本軍政下の製紙工場

2006-09-02 06:02:07 | Weblog
小田原製紙記録保存会のS氏から「南方事業報告書」を頂戴した。冊子は
大東亜戦争時のスマトラにおけるわが国製紙会社の操業状況と60年後の現況
追跡調査である。

南方における日本の軍政は長くても3年余と短く、期間中の民間の記録は
ほとんど残されていない。昨年12月、たまたま他の事でスマトラ旅行を計画
していた僕は、S氏の調査追跡旅行に興味を持ち同行した。北スマトラの
メダンを出発、西スマトラのパダンまで陸路3泊4日の旅は昭和1桁の二人
にとってかなりタフだった。

残念ながら60年の歳月の経過で、戦時中の工場は今はどこも操業していなか
った。しかし、メダンからトバ湖に向かう途中のララスにあった王子製紙の
工場跡には当時の機械据付基礎とグラインダー・ストーンが残っていた。
一方、西スマトラ・ブキティンギの小田原製紙工場跡には操業時の4本の高い
煙突と水路だけが形を留めていた。敗戦で日本軍が引揚げた後、スマトラは
独立戦争の戦場となった。多分その時工場は破壊されたものだろう。

S氏はかっての工場がそのままの姿で残っているとは期待していなかった。
しかし、もしかすると、当時伝授した日本の製紙技術がなんらかの形で
引き継がれているのではないかと淡い期待をもっていたようだったが、
「日本の技術の痕跡はまったく見られず残念だった」(冊子序文)。S氏の
期待は完全に裏切られた。

歴史に”レバ””タラ”は禁物だが、日本の製紙工場がそのまま操業して
いたならばーと残念に思う。現地にはこれといった産業がなく、依然
若者の失業者が群れをなしているだけに。