「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

バリ島への提言(2) ジゴロの追放

2006-12-02 06:56:25 | Weblog
バリ島の農業は二毛作である。年に二回お米が獲れる。今回の
旅行中も収穫中の田と田植えの光景が交互に見られた。見られ
ない風景は農道脇にホームレスなみのブルーテントが散見された
ことだ。聞いてみると、ソヨと呼ばれる他島からの季節的な援農
農民の宿舎だった。

ソヨがバリ島に来たのは10年ぐらい前からだという。その時期は
農村の若者の都会への流失時期とほぼ一致している。農村では
繁農期に人手不足となりソヨが必要となった。一方都会へ流れた
若者は一攫千金を夢見てジゴロになったのだーとバリの日本人は
説明してくれた。

バリの日本人関係者の間でジゴロの話が出てきて久しい。平成
10年、僕はサヌールの日本人女性が持つペンションに友人数人と
一泊した。女性の家にはインドネシア人青年がいた。僕は使用人
だと思っていたが、あとで知人に聞いたららジゴロだった。彼女は
日本で離婚で得たカネでこのペンションを建てたらしい。

デンパサール総領事館の話では、バリの邦人数は約1600人だと
いうが、実際はジゴロと同棲している女性などを含めると2000人
ぐらいいるらしい。総領事館にはジゴロをめぐる離婚などのもめご
との相談がかなり持ち込まれるとの話もきいた。

バリ島は世界有数の観光地で、それだけの観光資源にも恵まれて
いる。心ない一部の日本人観光客とそれを食い物にするジゴロのた
めに、本来はこの平和な心豊かな人たちのバリ島が壊されてゆく
のは残念である。