1945年8月17日のインドネシア独立宣言起草に関与した最後の日本人
N氏が12月9日逝去された。95歳であった。N氏は「証言 インドネシア
独立革命 ある日本人革命家の半生」(1975年 人物往来社)という本
を出版されているが、彼の一生はまさに明治、大正、昭和、平成四代を
生きた大往生であった。
1911年生れのN氏は故郷の中学校を出て旧制一高に入学したが、31年20
歳の時「治安維持法」で警察に逮捕され学校を追放された。そのあと地下
運動に入ったが、再度逮捕されて懲役二年(執行猶予五年)の判決を受け
たあと、転向を条件に蘭印(インドネシア)に事実上追放された。
蘭印では日本人経営の商店で店員として働きながら、オランダ語とインド
ネシア語を学び現地人の独立運動を支援した、41年12月8日大戦勃発と
ともにN氏は他の日本人と共に逮捕され、オランダによって豪州の砂漠
の収容所に送られた。1年後捕虜交換船でジャワに戻り海軍武官府に勤
務して現地人のための「独立塾」を作った。
インドネシアの独立宣言はN氏の勤務していた海軍武官府の上司、前田
少将宅で起草されたが、これに関与した日本人は前田少将、N氏ほか数
名であった。N氏はこの時の模様を刻銘に上記「革命家の半生」の中で書
いている。N氏が若いとき夢見た日本の共産革命は頓挫したが、他の形
をとって他国で結実した。彼の葬儀は彼の希望で15日、家族だけで密か
に行われた。
N氏が12月9日逝去された。95歳であった。N氏は「証言 インドネシア
独立革命 ある日本人革命家の半生」(1975年 人物往来社)という本
を出版されているが、彼の一生はまさに明治、大正、昭和、平成四代を
生きた大往生であった。
1911年生れのN氏は故郷の中学校を出て旧制一高に入学したが、31年20
歳の時「治安維持法」で警察に逮捕され学校を追放された。そのあと地下
運動に入ったが、再度逮捕されて懲役二年(執行猶予五年)の判決を受け
たあと、転向を条件に蘭印(インドネシア)に事実上追放された。
蘭印では日本人経営の商店で店員として働きながら、オランダ語とインド
ネシア語を学び現地人の独立運動を支援した、41年12月8日大戦勃発と
ともにN氏は他の日本人と共に逮捕され、オランダによって豪州の砂漠
の収容所に送られた。1年後捕虜交換船でジャワに戻り海軍武官府に勤
務して現地人のための「独立塾」を作った。
インドネシアの独立宣言はN氏の勤務していた海軍武官府の上司、前田
少将宅で起草されたが、これに関与した日本人は前田少将、N氏ほか数
名であった。N氏はこの時の模様を刻銘に上記「革命家の半生」の中で書
いている。N氏が若いとき夢見た日本の共産革命は頓挫したが、他の形
をとって他国で結実した。彼の葬儀は彼の希望で15日、家族だけで密か
に行われた。