義姉の葬儀へ行く新幹線の車中の電光ニュースで青島幸男と岸田今日子の
逝去の報を知った。ほぼ僕と同時代の人たちだ。とくに岸田今日子は僕と同学
年、疎開先の飯田の学校で勤労動員を受けた経験まで僕と似ている。しかも
長野新幹線の中で彼女の死を知った。なにかの機縁である。
公募で決まった今年の漢字は「命}である。秋篠宮悠仁親王の明るい「命」の誕
生からいじめによる自殺、交通事故などの「命」の損失の悲しい暗いニュースも
あった。一つにくくれば「命」なのだろう。
若いときにはあまり「命」に無関心であった。しかし馬齢を重ねると「命」に感慨
を覚えるようになる。大げさに言えば、金魚鉢の中の金魚、路傍の草木にさえ
「命」の”いとおしさ”を感じることがある。
"死んでしまえば同じさ”という言葉を耳にする。俗世的にはそうなのだが,生
と死とは大違いだ。年の瀬にはよくあの世にいってしまった友人のことを夢み
ることがある。僕だけの現象なのだろうかー。友人たちと酒を飲みながらワイ
ワイ騒いでいると、夢が破れる。みなこの世にはいない連中である。
やはり生きていることと,死んでしまうのとは大変な違いなのだ。生きとし生け
るものを"いとおしむ”こと、「命」の大切さを義姉の死、青島幸男、岸田今日子
の死から改めて知った次第である。
逝去の報を知った。ほぼ僕と同時代の人たちだ。とくに岸田今日子は僕と同学
年、疎開先の飯田の学校で勤労動員を受けた経験まで僕と似ている。しかも
長野新幹線の中で彼女の死を知った。なにかの機縁である。
公募で決まった今年の漢字は「命}である。秋篠宮悠仁親王の明るい「命」の誕
生からいじめによる自殺、交通事故などの「命」の損失の悲しい暗いニュースも
あった。一つにくくれば「命」なのだろう。
若いときにはあまり「命」に無関心であった。しかし馬齢を重ねると「命」に感慨
を覚えるようになる。大げさに言えば、金魚鉢の中の金魚、路傍の草木にさえ
「命」の”いとおしさ”を感じることがある。
"死んでしまえば同じさ”という言葉を耳にする。俗世的にはそうなのだが,生
と死とは大違いだ。年の瀬にはよくあの世にいってしまった友人のことを夢み
ることがある。僕だけの現象なのだろうかー。友人たちと酒を飲みながらワイ
ワイ騒いでいると、夢が破れる。みなこの世にはいない連中である。
やはり生きていることと,死んでしまうのとは大変な違いなのだ。生きとし生け
るものを"いとおしむ”こと、「命」の大切さを義姉の死、青島幸男、岸田今日子
の死から改めて知った次第である。