”だるま”の愛称で親しまれたサントリー「オールド」ウイスキーが団塊
世代をターゲットに復権の兆しがあるという。ピーク時には年間1,240
ケースも売れていたのが93年には50万ケースに落ち込んだ。そういえ
ば、僕の周りにも”だるま”を愛飲している人はいない。
1970年から80年にかけて「オールド」はサラリーマンのステータス・シン
ボルだった。当時中間管理職だった僕らがやっとバーやクラブで飲めて、
多分新人だった団塊の世代には"高嶺の花”的存在、羨望の的であった
のかもしれない。それだけに今、懐かしいのであろうか。
昭和1ケタの僕らには”だるま”よりは”トリス”や”角”に愛着を感じる。社
会人になった50年代は日本酒と焼酎が全盛だった。とくに焼酎は安サラ
リーマンにとっては手頃で、コップの受け皿にまでなみなみとつぎ、これに
”梅”か”ぶどう”を割って飲んだものだ。一杯30円の記憶だが。
昭和30年(1955年)代になってサントリーが全国に”トリス・バー”をオー
プン、僕らもウイスキーの味を知った。止まり木に腰をかけ、バーの中の
女性(ホステスとは言わなかった)をからかいながら炭酸で割ったハイボ
ールを飲んだ。当時”角”は、高級ウイスキーでなかなか僕らは飲めなか
ったものだ。僕ら世代にとっては”だるま”よりは”角””角”よりは”トリス”
なのだが、何分少数世代だ。声も声にはならない。
世代をターゲットに復権の兆しがあるという。ピーク時には年間1,240
ケースも売れていたのが93年には50万ケースに落ち込んだ。そういえ
ば、僕の周りにも”だるま”を愛飲している人はいない。
1970年から80年にかけて「オールド」はサラリーマンのステータス・シン
ボルだった。当時中間管理職だった僕らがやっとバーやクラブで飲めて、
多分新人だった団塊の世代には"高嶺の花”的存在、羨望の的であった
のかもしれない。それだけに今、懐かしいのであろうか。
昭和1ケタの僕らには”だるま”よりは”トリス”や”角”に愛着を感じる。社
会人になった50年代は日本酒と焼酎が全盛だった。とくに焼酎は安サラ
リーマンにとっては手頃で、コップの受け皿にまでなみなみとつぎ、これに
”梅”か”ぶどう”を割って飲んだものだ。一杯30円の記憶だが。
昭和30年(1955年)代になってサントリーが全国に”トリス・バー”をオー
プン、僕らもウイスキーの味を知った。止まり木に腰をかけ、バーの中の
女性(ホステスとは言わなかった)をからかいながら炭酸で割ったハイボ
ールを飲んだ。当時”角”は、高級ウイスキーでなかなか僕らは飲めなか
ったものだ。僕ら世代にとっては”だるま”よりは”角””角”よりは”トリス”
なのだが、何分少数世代だ。声も声にはならない。