昨夜、東京の帝国ホテルでアラブ首長国連邦(UAE)の35回目の建国記
念祝賀会がり出席した。1962年12月、僕は独立前、この国が休戦海岸
(Trucial coast)と変な名前で呼ばれていた頃、主都ドバイに一週間滞在し
た。休戦海岸とは、その昔このあたりを棲み家にする海賊がペルシャ湾を
航行する英国船を頻繁に襲うので、英国が休戦協定を結んだ。これに由来
している。
44年前、僕が訪れた時ドバイには空港はなく未開の地だった。ホテルは
隣のシャルジャにあった飛行場を利用する航空会社のクルーが宿泊する小
さなものがあっただけだった。住民は昔ながらロバで飲用水を運びスーク
(市場)で野菜や魚を売っていた。クリークでは男が尻を出して自然排泄し
ていたほどだ。
ところが祝賀会で貰ったパンフを見ると驚きである。今や世界一の高層ホテ
ルが建ち、四つの滑走路を持つハブ空港を建設中、競馬ファンなら先刻ご
承知のG1レースが開催され、フリーポートでは世界の高級品があふれ若い
女性観光客、あこがれの地だという。
UAEはいわゆるオイルマネーで飛躍的に伸びた国である。しかし、ドバイには
は油は出ない。これがかえって良かったのかもしれない。名君といわれる前の
首長の積極的な国づくりで奇跡を起こした。
酒好きの僕にとってイスラム国のパーテイは苦手である。アルコール類がご
法度だからである。その点,UAEのパーテイはそんなことはない。昔は厳しく
酒の持込を取締っていたのだが。やはり世界的に飛躍するには”融通性”が
必要なのかもしれない。宗教は自身の信仰であり、戒律はその信仰のために
あるのだから。
念祝賀会がり出席した。1962年12月、僕は独立前、この国が休戦海岸
(Trucial coast)と変な名前で呼ばれていた頃、主都ドバイに一週間滞在し
た。休戦海岸とは、その昔このあたりを棲み家にする海賊がペルシャ湾を
航行する英国船を頻繁に襲うので、英国が休戦協定を結んだ。これに由来
している。
44年前、僕が訪れた時ドバイには空港はなく未開の地だった。ホテルは
隣のシャルジャにあった飛行場を利用する航空会社のクルーが宿泊する小
さなものがあっただけだった。住民は昔ながらロバで飲用水を運びスーク
(市場)で野菜や魚を売っていた。クリークでは男が尻を出して自然排泄し
ていたほどだ。
ところが祝賀会で貰ったパンフを見ると驚きである。今や世界一の高層ホテ
ルが建ち、四つの滑走路を持つハブ空港を建設中、競馬ファンなら先刻ご
承知のG1レースが開催され、フリーポートでは世界の高級品があふれ若い
女性観光客、あこがれの地だという。
UAEはいわゆるオイルマネーで飛躍的に伸びた国である。しかし、ドバイには
は油は出ない。これがかえって良かったのかもしれない。名君といわれる前の
首長の積極的な国づくりで奇跡を起こした。
酒好きの僕にとってイスラム国のパーテイは苦手である。アルコール類がご
法度だからである。その点,UAEのパーテイはそんなことはない。昔は厳しく
酒の持込を取締っていたのだが。やはり世界的に飛躍するには”融通性”が
必要なのかもしれない。宗教は自身の信仰であり、戒律はその信仰のために
あるのだから。