畏友K先生からお手紙を頂いた。先生は関西地方の大學の元学長で、趣味
のコイン収集家でも大家である。先生はいま”朝永・湯川博士生誕百年記念
コイン(金・銀貨)を発行せよ”と運動している。
湯川秀樹博士は1949年日本で始めてノーベル賞を受賞、ついで朝永振一郎
博士も1965年、同じ物理学部門で受賞した。二人とも旧制三高、京大同窓で
朝永博士は1906年11月、湯川博士は1907年1月生れだから今年がメモリアル
イヤーである。
K先生の手紙には戦友のN元首相のK先生宛葉書のコピーが添えられており
「青少年教育のためにも湯川先生はよいかもしれません。同感」とコイン発行
に賛意を示されている。
湯川博士がノーベル賞を貰った1949年当時、日本はまだ敗戦ショックで国と
しての自信を喪失していた。それだけに博士の受賞は大ニュースで日本中が
沸き立った。当時生まれた男児には”ヒデキ”という名前が流行し、尊敬する人
の第一位には湯川博士が上がった。
いま子供の間で尊敬する人の第一位は父、母、兄といった自分の親族である
と、いった記事を読んだことがある。これが何を意味するか解らないが、両博士
の生誕百年を機会に、コインの発行で両博士の業績を再認してこれが青少年
の教育に役立てば結構である。1949年、湯川博士がノーベル賞を受賞した時の
国中の湧き立ちは忘れられない。当時は子供の間にもいじめや自殺などなかっ
たと思うのだがー。
のコイン収集家でも大家である。先生はいま”朝永・湯川博士生誕百年記念
コイン(金・銀貨)を発行せよ”と運動している。
湯川秀樹博士は1949年日本で始めてノーベル賞を受賞、ついで朝永振一郎
博士も1965年、同じ物理学部門で受賞した。二人とも旧制三高、京大同窓で
朝永博士は1906年11月、湯川博士は1907年1月生れだから今年がメモリアル
イヤーである。
K先生の手紙には戦友のN元首相のK先生宛葉書のコピーが添えられており
「青少年教育のためにも湯川先生はよいかもしれません。同感」とコイン発行
に賛意を示されている。
湯川博士がノーベル賞を貰った1949年当時、日本はまだ敗戦ショックで国と
しての自信を喪失していた。それだけに博士の受賞は大ニュースで日本中が
沸き立った。当時生まれた男児には”ヒデキ”という名前が流行し、尊敬する人
の第一位には湯川博士が上がった。
いま子供の間で尊敬する人の第一位は父、母、兄といった自分の親族である
と、いった記事を読んだことがある。これが何を意味するか解らないが、両博士
の生誕百年を機会に、コインの発行で両博士の業績を再認してこれが青少年
の教育に役立てば結構である。1949年、湯川博士がノーベル賞を受賞した時の
国中の湧き立ちは忘れられない。当時は子供の間にもいじめや自殺などなかっ
たと思うのだがー。