先日小ブログで東チモールの国造りに協力して同国産のコーヒーの生産販売を
しているNPO「ピースウインズ・ジャパン」(PWJ)を紹介したが、早速、知人への
お中元としてこれを使った。そして、ついでにわが家にも一品取り寄せたが、宣伝
どおり素朴で美味しい味だ。
僕は東チモールへは行ったことがないが、大学時代の友人の一人が戦争中、約3
年間兵士として駐屯していた。その関係もあって平成14年、同国が独立した年の
9月、ある雑誌に、戦争中同地にいた第48師団の方4人に集まってもらい「東チモー
ル4万人虐殺の虚妄」という誌上座談会を開いた。
東チモールは戦時中中立国のポルトガルの植民地だったが、開戦と同時に中立を
破り、オランダ軍とオーストラリア軍が同地に進駐した。対抗上、日本軍も昭和17
年2月、同地を攻めて占領した。以来終戦まで第48師団が駐屯していたが、地上戦
はなく、日本軍は荒れた土地を耕しながら自活していた。
ところが、戦後日本のあるキリスト教団体が、オーストラリアの誤った情報を鵜呑みに
して「朝日新聞」に東チモールで戦時中4万人が虐殺された、と投書した。この団体は
その後情報が誤っていたとして、第48師団の戦友会に謝罪し「朝日新聞」にも訂正を
申し入れたが、そのままである。
この誤報が東チモール独立時にも独り歩きしていて、日本の何も知らない団体の中に
はわざわざ現地まで行き自衛隊派遣反対を叫んでいた。座談会出席の一人はインドネ
シア語で"habis"(なにもない)という文字通り何もできない荒地に駐屯していて自分たち
が生きてゆくのが精一杯。虐殺どころではなかったと証言していた。宗主国のポルトガル
はこの悪条件の地で植民地農業を放棄していた。これが逆に幸いして東チモールのコー
ヒーは無農薬、無改良のまま残っていたわけだ。
しているNPO「ピースウインズ・ジャパン」(PWJ)を紹介したが、早速、知人への
お中元としてこれを使った。そして、ついでにわが家にも一品取り寄せたが、宣伝
どおり素朴で美味しい味だ。
僕は東チモールへは行ったことがないが、大学時代の友人の一人が戦争中、約3
年間兵士として駐屯していた。その関係もあって平成14年、同国が独立した年の
9月、ある雑誌に、戦争中同地にいた第48師団の方4人に集まってもらい「東チモー
ル4万人虐殺の虚妄」という誌上座談会を開いた。
東チモールは戦時中中立国のポルトガルの植民地だったが、開戦と同時に中立を
破り、オランダ軍とオーストラリア軍が同地に進駐した。対抗上、日本軍も昭和17
年2月、同地を攻めて占領した。以来終戦まで第48師団が駐屯していたが、地上戦
はなく、日本軍は荒れた土地を耕しながら自活していた。
ところが、戦後日本のあるキリスト教団体が、オーストラリアの誤った情報を鵜呑みに
して「朝日新聞」に東チモールで戦時中4万人が虐殺された、と投書した。この団体は
その後情報が誤っていたとして、第48師団の戦友会に謝罪し「朝日新聞」にも訂正を
申し入れたが、そのままである。
この誤報が東チモール独立時にも独り歩きしていて、日本の何も知らない団体の中に
はわざわざ現地まで行き自衛隊派遣反対を叫んでいた。座談会出席の一人はインドネ
シア語で"habis"(なにもない)という文字通り何もできない荒地に駐屯していて自分たち
が生きてゆくのが精一杯。虐殺どころではなかったと証言していた。宗主国のポルトガル
はこの悪条件の地で植民地農業を放棄していた。これが逆に幸いして東チモールのコー
ヒーは無農薬、無改良のまま残っていたわけだ。