「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     ”虐殺”などなかった東チモールのコーヒー 

2009-07-09 05:38:16 | Weblog
先日小ブログで東チモールの国造りに協力して同国産のコーヒーの生産販売を
しているNPO「ピースウインズ・ジャパン」(PWJ)を紹介したが、早速、知人への
お中元としてこれを使った。そして、ついでにわが家にも一品取り寄せたが、宣伝
どおり素朴で美味しい味だ。

僕は東チモールへは行ったことがないが、大学時代の友人の一人が戦争中、約3
年間兵士として駐屯していた。その関係もあって平成14年、同国が独立した年の
9月、ある雑誌に、戦争中同地にいた第48師団の方4人に集まってもらい「東チモー
ル4万人虐殺の虚妄」という誌上座談会を開いた。

東チモールは戦時中中立国のポルトガルの植民地だったが、開戦と同時に中立を
破り、オランダ軍とオーストラリア軍が同地に進駐した。対抗上、日本軍も昭和17
年2月、同地を攻めて占領した。以来終戦まで第48師団が駐屯していたが、地上戦
はなく、日本軍は荒れた土地を耕しながら自活していた。

ところが、戦後日本のあるキリスト教団体が、オーストラリアの誤った情報を鵜呑みに
して「朝日新聞」に東チモールで戦時中4万人が虐殺された、と投書した。この団体は
その後情報が誤っていたとして、第48師団の戦友会に謝罪し「朝日新聞」にも訂正を
申し入れたが、そのままである。

この誤報が東チモール独立時にも独り歩きしていて、日本の何も知らない団体の中に
はわざわざ現地まで行き自衛隊派遣反対を叫んでいた。座談会出席の一人はインドネ
シア語で"habis"(なにもない)という文字通り何もできない荒地に駐屯していて自分たち
が生きてゆくのが精一杯。虐殺どころではなかったと証言していた。宗主国のポルトガル
はこの悪条件の地で植民地農業を放棄していた。これが逆に幸いして東チモールのコー
ヒーは無農薬、無改良のまま残っていたわけだ。