「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

自由が丘産の冬瓜の初物

2009-07-28 18:03:01 | Weblog
目黒通りから少し入った所にある自由が丘の農家の無人スタンドに冬瓜の初物が
登場しました。重さ3・8キロ,幅66センチ、丈30センチの大物です。値段は200
円でした。自由が丘は東京の若者が住んでみたい街の一つです。

       「太平洋戦争」「皇居遥拝」はなかった

2009-07-28 05:05:36 | Weblog
昨日の新聞に折り込まれて「昭和と戦争」のDVD・ビデオの商品広告が配れてきた。
満州事変の年(昭和6年)に生まれ日支事変(12年)勃発の時に小学校に入り20年
中学3年の時に敗戦を迎えた僕の半生は、まさにこのDVD・ビデオの収録されている
時代だ。自分の生きてきた時代の証左として見てみたいものである。

この激動の時代、よくぞこういった映像が残されていたものだ。そしてまた、よくぞこれ
だけ収録できたものだ。関係者の努力には頭が下がる思いだ。この時代を生きてきた
一人としてぜひ、子供たち孫たちの世代にも見てもらいたい。

ただ広告を見て気になったことが二つある。この時代を後世に正しく伝えるならば映像
だけでなく言葉も正しく残してほしい。一つは「太平洋戦争」である。正しくは「大東亜
戦争}であおる。昭和16年12月12日の政府閣議で正式に「大東亜戦争」と定義されて
おり、あの時代、僕らは「太平洋戦争」などと呼んだことはない。「太平洋戦争」という呼
称は戦後占領軍によって強制された名称にすぎない。

もう一つは「皇居遥拝」である。「宮城遥拝」が正式名称である。皇居という呼び方は戦後
のもので、「宮城遥拝」が国旗掲揚と同じく国家儀式であった。僕の耳にはまだ学校の
朝礼のさいの"キュージョー・ヨーハイ”と号令をかけた先生の声が残っている。

激動の時代を生き抜いてきた世代も年々少なくなってきている。当時の映像をこうして残す
ことは大変意義あることだが、同時に正しい言葉も残してもらいたい。