平成22年の新しい年が明けた。おめでとうございます。東京は好天に恵まれ初日の出
も拝めたようだ。朝8時前、一家でお雑煮を祝う前に近所の鎮守の森へ初詣に出かけて
きた。昨年は鳥居から拝殿まで長い列ができていたが、今年は時間のせいか参拝客は
三々五々、まばらであった。(写真)
元旦には毎年小ブログは「昭和」と「平成」を比較して書いているが、昭和22年の新年は
どうだったのかー。亡父の書き損じた年賀状が一枚残っていたが、それには”自由な平
和の春を迎えて皆様の御清勝を祈る”という書き出しだった。戦後2年目の新年の時勢が
うかがえる。
僕は16歳。旧制中学校の4年生だったが、親友の家の防空壕を改造したバラックで新年
会をした想い出がある。薬剤師をしていた親友の父親がアルコールを調剤して祝い酒を
造ってくれた。当時はまだ酒が自由に手に入らず、町には闇のカストリ焼酎が横行して
いてメチールアルコールを飲んで失明する者もあった。
そのカストリの名をとったカストリ雑誌というのもあった。仙花紙という粗悪な紙の雑誌で内
容もエロ、グロ。ナンセンス。中でも「猟奇」という雑誌に載った「H大佐夫人」は警察の取締
りにあい発売禁止になったが、僕はどこからか手に入れて読んだ。不良少年だったわけだ。
初詣に出かけた記憶がない。僕だけでなく戦後まもないこの時代は、世の中全体が食べる
のに精一杯で初詣どころではなかった。この年の2月、東京郊外の八高線で列車が脱線して
食糧買い出しの乗客163人が亡くなっている。今とは比較できない厳しい時代であった。
も拝めたようだ。朝8時前、一家でお雑煮を祝う前に近所の鎮守の森へ初詣に出かけて
きた。昨年は鳥居から拝殿まで長い列ができていたが、今年は時間のせいか参拝客は
三々五々、まばらであった。(写真)
元旦には毎年小ブログは「昭和」と「平成」を比較して書いているが、昭和22年の新年は
どうだったのかー。亡父の書き損じた年賀状が一枚残っていたが、それには”自由な平
和の春を迎えて皆様の御清勝を祈る”という書き出しだった。戦後2年目の新年の時勢が
うかがえる。
僕は16歳。旧制中学校の4年生だったが、親友の家の防空壕を改造したバラックで新年
会をした想い出がある。薬剤師をしていた親友の父親がアルコールを調剤して祝い酒を
造ってくれた。当時はまだ酒が自由に手に入らず、町には闇のカストリ焼酎が横行して
いてメチールアルコールを飲んで失明する者もあった。
そのカストリの名をとったカストリ雑誌というのもあった。仙花紙という粗悪な紙の雑誌で内
容もエロ、グロ。ナンセンス。中でも「猟奇」という雑誌に載った「H大佐夫人」は警察の取締
りにあい発売禁止になったが、僕はどこからか手に入れて読んだ。不良少年だったわけだ。
初詣に出かけた記憶がない。僕だけでなく戦後まもないこの時代は、世の中全体が食べる
のに精一杯で初詣どころではなかった。この年の2月、東京郊外の八高線で列車が脱線して
食糧買い出しの乗客163人が亡くなっている。今とは比較できない厳しい時代であった。