「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       昭和22年元旦 平成22年元旦

2010-01-01 08:02:07 | Weblog
平成22年の新しい年が明けた。おめでとうございます。東京は好天に恵まれ初日の出
も拝めたようだ。朝8時前、一家でお雑煮を祝う前に近所の鎮守の森へ初詣に出かけて
きた。昨年は鳥居から拝殿まで長い列ができていたが、今年は時間のせいか参拝客は
三々五々、まばらであった。(写真)

元旦には毎年小ブログは「昭和」と「平成」を比較して書いているが、昭和22年の新年は
どうだったのかー。亡父の書き損じた年賀状が一枚残っていたが、それには”自由な平
和の春を迎えて皆様の御清勝を祈る”という書き出しだった。戦後2年目の新年の時勢が
うかがえる。

僕は16歳。旧制中学校の4年生だったが、親友の家の防空壕を改造したバラックで新年
会をした想い出がある。薬剤師をしていた親友の父親がアルコールを調剤して祝い酒を
造ってくれた。当時はまだ酒が自由に手に入らず、町には闇のカストリ焼酎が横行して
いてメチールアルコールを飲んで失明する者もあった。

そのカストリの名をとったカストリ雑誌というのもあった。仙花紙という粗悪な紙の雑誌で内
容もエロ、グロ。ナンセンス。中でも「猟奇」という雑誌に載った「H大佐夫人」は警察の取締
りにあい発売禁止になったが、僕はどこからか手に入れて読んだ。不良少年だったわけだ。

初詣に出かけた記憶がない。僕だけでなく戦後まもないこの時代は、世の中全体が食べる
のに精一杯で初詣どころではなかった。この年の2月、東京郊外の八高線で列車が脱線して
食糧買い出しの乗客163人が亡くなっている。今とは比較できない厳しい時代であった。