「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     「愛国行進曲」と「インドネシア・ラヤ」(国歌)

2010-01-10 06:41:58 | Weblog
昨日、川崎市民ミュージアムで上映中の大東亜戦争中の映画「セレベス」(秋本憲監督
大木正夫音楽 昭和19年 日本映画社製作)を見てきた。3時間もの長編記録だが、ス
ラウエシュ島を知らない人でも、当時の日本の軍政を知る上で参考になり貴重な記録で
ある。

映画は昭和17年1月11日、海軍落下傘部隊がセラウェシ島北部のメナドに降下した場面
から始まり、全島を軍政下に置いた後の各地を海軍報道班員のレンズを通じて2年間、丹
念にまわり取材している。現地の子どもたちが宮城遥拝、国旗(日の丸)掲揚、日本式体
操をしたり「愛国行進曲」を歌う姿。開戦記念日を祝って現地の各部族が日の丸を先頭に民
族衣装でマカッサル市内を行進する姿などなど。

映画は銃後の国民に新しく軍政下に置いたセレベスの姿を紹介するのが目的だから、当然
全編、これ”大東亜共栄圏”萬歳萬歳で描かれている。かっては”首狩り族”といわれた山中
のトラジャ族にまで「愛国行進曲」で行進させ、皇威が行き届いた姿を紹介している。

”見よ東海の空あけて旭日高く輝けば”で始まる「愛国行進曲」は昭和12年、当時の政府が
”全国民が永遠に愛唱する歌”として選定したもので、大東亜戦争を通じて最大の国民歌で
あった。映画「セレベス」は、この「愛国行進曲」を上手に使って効果をあげているが、一方で
当時蘭印(現インドネシア)では禁止されていた「インドネシア・ラヤ」(現インドネシア国歌)の
メロデイをBGMに使用している。

インドネシアの将来への独立について当時陸海軍の間に意見の相違があり、海軍は独立に対
して同情的だったという説もある。推測だが、もしかすると音楽担当の大木正夫がそれを知って
意識的に「インドネシア・ラヤ」を使用したのかもしれない。あるいは戦後、交響曲第5番「ヒロシ
マ」などの作曲がある大木の個人的なレジスタンスなのかもしれない。