「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          失われた東京の正月風景

2010-01-02 07:01:35 | Weblog
年々、昔あった”正月”が東京の街から失われてきた。あの日本髪の女性の華やかな着物
姿など、わが町では見られなくなった。かってはどこの路地からも聞こえてきた追羽根の音も
ない。原っぱの空高く上がっていた奴凧の勇姿も今は見られなくなった。駄菓子屋の前にたむ
ろしていたお年玉大臣の子どもたちの笑い声もない。

考えると、昔はたいていどこの家でも門ごとに元旦には日の丸を掲げた。昨日初詣に出かけた
が、神社までの道筋には一軒もなかった。我が家もそうである。2日には年始の習慣があった。
向こう三軒両隣りの家々に手拭や葉書を持って新年の挨拶に回った。サラリーマンは一升ビン
をぶらさげて上役の家に年始に出かけご馳走になるのが習わしだった。

東京の山の手にあるわが家にも昭和30年ごろまでは、正月になると、烏帽子をかぶった太夫と
小鼓を叩く才蔵の三河万才がやってきて賑々しく年賀の口上を述べてまわってきた。獅子舞も
きたものだった。大相撲の正月場所の触れ太皷の一行もやってきた。

夜になると、家々からは家族があつまってお正月の遊びをする賑々しい声が漏れてきた。いろは
カルタ、すごろく、福笑いという遊びもあった。福笑いとは、目かくしておかめの顔の上に目鼻口
などを置き、その可笑しさを笑うだけの他愛のないものだった。トランプ遊びも盛んだった。

核家族化が進み、家族の絆が薄れてきて、正月風景も失われてきた。何か寂しい気がする。